Interviewインタビュー

No.73

公開日:2023/12/27 

世界最高峰のVFXスタジオで活躍するCGアーティストが語る夢の叶え方

CGデザイナー デジタルハリウッドU.S.A.校

No.73

Industrial Light & Magic ILM Senior Generalist Artist
山田 義也さん
デジタルハリウッドU.S.A.校
(dhima通称ディーマ:Digital Hollywood Institute of Media Arts)CG映像専攻1999年修了

原点は「エピソード4」

──どのようにして、全CGクリエイターが憧れの世界最高峰のVFXスタジオ・ILM(Industrial Light & Magic)のクリエイターになれたのか、現在に至るまでの経緯について教えてください。
原点は小学5年の時に観た『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』です。その世界観、それまで見たことないようなすごい映像に心を奪われました。特に衝撃を受けたのは冒頭でスター・デストロイヤーが画面の上からが登場するシーンですね。おしっこちびるかと思うくらいの衝撃でした(笑)。それで将来、スター・ウォーズのような映画を作りたいなと思って色々調べて、ILMが作っているとわかったんですが、当時小学生なのでどうすればそこに入れるか、皆目わかりませんでした。なので、普通の子どもが一瞬だけ持つ夢とか憧れみたいな感じで、すぐ忘れてしまったんです。

高校時代も将来やりたい仕事もなく、文系よりは理系の方が好きで得意だったので、岡山理科大学工学部に進学し、機械工学を専攻。大学時代も特に就きたい職業はなく、映画業界など、考えもしなかったですね。卒業後は大学時代に学んだことが活かせると思い、日立家電に入社。キッチンメーカーに自社家電を売り込む営業職として働いていました。

──営業の仕事をやってみていかがでしたか?
仕事自体は楽しくはないんですが、大手企業で毎月給料はもらえて安定しているし、人生なんてこんなもんなんだろうって思っていました 。

運命を変えた友人からの依頼

──では映画とかCGの世界に入ったきっかけは何だったのですか?
大学時代、スケボーやスノーボードにのめり込んでいたのですが、友達がスノーボードのプロになりました。入社3年目くらいの時、その彼から自分が技を披露しているシーンの映像を作ってほしいと頼まれたんです。当時、アメリカからサーフィンやスノーボード、スケボーをやっている映像に音楽を合わせたかっこいいビデオが日本にたくさん入ってきていたんです。そういうものに憧れてよく見ていたことと、ちょうどその頃、1994か5年頃、Macが発売されました。個人でも買える値段だったので、これなら簡単に編集できそうだと思ったので、それまで映像編集は未経験だったのですが、引き受けたんです。そのMacを買ってスノーボードの映像の編集をしたのが最初のきっかけですね。

──ご自身でMacを使って映像編集をしてみてどう感じましたか?
すごくおもしろいと思ったし、Mac一台さえあれば個人でも簡単に映像編集ができることに衝撃を受け、のめり込みました。それ以来、パソコン雑誌をたくさん買って、映像制作や3DCGの記事をむさぼるように読むなど、独学で映像編集を学びました。でも、やはり独学では行き詰まるし、当時30歳であまり時間もないので3DCG制作についてもっと本格的に学ぶために専門学校に入ろうと考えていました。そんなある日、たまたま入った本屋で手に取った本に、デジタルハリウッドのことが書かれてあったんです。デジタルハリウッドでは最先端のCGについて学べることと、アメリカにdhimaという学校を作って、さらに卒業生が映画『タイタニック』などを作ったデジタルドメインに入社したという記事を読んだ時、大きな衝撃を受けました。「まさにこれが俺がやりたかったことかもしれない! 俺もこの卒業生のようになりたい!」と。

当然、3DCG映像制作などやったことがないので自信も何もなかったのですが、それよりも自分が作りたいと思ってるものを作れるようになるかもしれないという、ドキドキ感とかワクワク感の方が勝ってしまい、その記事を読んですぐ会社を辞めてアメリカに行くことを決めました。

奇跡のdhima入学

──英語は得意だったのですか?
いえいえ、全然です(笑)。TOEICなんて500点にも満たないレベルでした。でもアメリカに行けばなんとかなると思って。

それでdhimaの入学試験を受けたんですが、落ちちゃったんですよ。会社にはもう辞表を提出していたので、最悪なことになったなと。でも、1名キャンセルが出て、補欠合格できたんです。それで1998年、渡米してdhimaに入学しました。

──アメリカでの生活はいかがでしたか?
午前中は英語の勉強で、午後からdhimaでCGの勉強という生活でした。帰宅しても毎日のように徹夜で勉強するなど今振り返ればハードな日々でしたが、CGの本場のアメリカでやりたいことが勉強できていたので、キツいとかつらいと思ったことは一瞬たりともなかったですね。とにかく楽しかったです。しかも周りの友人もすごく頑張っていて、一緒に住んでいたので毎日が学園祭みたいなノリで、僕の人生の中で一番楽しい時期でした。

dhima入学が今に至る最大の出来事

──dhimaでの学びはいかがでしたか?
3DCG映像制作のコースで、最初はMayaというソフトの使い方から学び、3DCG映像制作の基礎を一通り身につけられました。教えてくれる先生も大手VFX制作会社のクリエイティブディレクターを務めているプロ中のプロだったので、より深く、実戦的なことを学べました。この世界に入った最初の一歩だし、現在のGeneralist Artistとしての基礎が作られたわけなので、僕のキャリアというか人生の中でdhimaに入学したことが一番大きいと思います。

──他にdhimaに入ってよかったと思うことは?
技術的なことを学べたのはもちろんですが、それよりも大きいのが同じ志を持った仲間ができたことですね。一つ屋根の下で暮らし、同じ釜の飯を食い、苦楽をともにしたことで育まれた信頼関係はまさに一生ものですから。何かあっても誰か助けてくれるだろうなとか、当然、仲間が困った時は僕も助けるし。そういう安心感がありました。彼らも卒業後は僕と同じくCG関係の会社に就職して活躍していて、いまだに連絡を取り合っている仲間も多いです。

貴重な人との繋がりという意味では同級生だけじゃなくて先生も同じで、就職する時に先生にいろいろと助けてもらいました。いまだに頭が上がらない人もいます。

ミュージックビデオのVFXからキャリアをスタート

──卒業後はどうしたのですか?
その先生の紹介で、最初はサンタモニカのPixel Envy社というVFXの会社でインターンをさせてもらえることになりました。最初に担当したのはレッド・ホット・チリ・ペッパーズのミュージックビデオのVFX。その後、他のアーティストの作品(VFX)を3本担当しました。それらの仕事が会社に認められて、就労ビザを出すからこのままうちで働かないかと言ってもらえて、そのまま正式にPixel Envyに就職。VFXアーティストとしてキャリアをスタートできたんです。

──実際にアメリカのVFXスタジオで働いてみていかがでしたか?
20人ぐらいのいわゆるブティックプロダクションだったので、徹夜も日常茶飯事でものすごく忙しかったです。例えばミュージックビデオの制作の仕事も、完成するのがそのビデオを流す音楽番組の放送日の朝。今みたいにネットでデータ送信とかできないので、そのまま社員がそのビデオテープを持って飛行機に飛び乗ってロサンゼルスからニューヨークの放送局まで届けに行って放送にギリギリ間合う、みたいな無茶苦茶なことをよくやっていました。でもdhima時代と同じような感覚で、ずっと学祭みたいなノリですごく楽しかったですよ。自分が作った映像を大勢の人に観てもらえるという快感もあり、大きなやりがいも感じていました。

──プロのCGアーティストになった時はどんな気持ちでしたか?
一番最初に自分が手掛けたレッド・ホット・チリ・ペッパーズのミュージックビデオをテレビで観た時、とりあえずの目標は実現したなという実感をすごく感じました。

──その時、いずれは小学生の頃に夢見たハリウッド映画の制作に関わりたいと思っていましたか?
いや、そこまでは考えなかったですね。当時は自分に何がどこまでできるかというのが全然わからなかったので、とりあえず2、3年、アメリカでVFXアーティストとして経験を積めればいいなと思っていたくらいです。

──最初に入った会社で身に着けたことは?
学生って自分の作りたい物を作って終わり、じゃないですか。でも給料をもらって仕事をするようになると、クライアントの意図を汲んで、さらにプラスαでクオリティの高い作品を作る必要があります。当然ダメ出しもあって、その対応もしなければなりません。そんなプロとしての基本的な姿勢が身についたのが一番大きかったですね。

技術的にはモデリングやキャラクターアニメーション、テクスチャー、ライティングなど全部を経験できたので、ジェネラリストとしてのベースを作ることができました。

2社目でハリウッド映画のVFXを手掛ける

2年ほど勤めた頃、Pixel Envyの3人の経営者の内の2人の兄弟から「独立してVFXの会社を立ち上げるから一緒にやらないか」と声を掛けられました。その兄弟はすごくハイレベルのCGのセンスやスキル、才能を持っていたので、絶対彼らについて行った方が楽しいだろうなと思い、移籍することにしました。

そのHydraulxという会社では、モデリングスーパーバイザーとしてモデリングやテクスチャー、アニメーション、アセットデベロップ、ショットワークなどを経験しました。この頃から関わるジャンルは映画が多くなり、『デイ・アフター・トゥモロー』などのVFXを手掛けました。

移籍して10年ほど経った頃、2012年にウォルト・ディズニー・スタジオがルーカス・フィルムを買収して、スター・ウォーズの新作を出すことが報じられました。それを知ってぜひ自分もスター・ウォーズの新作に参加したいと思い、ILMへの移籍を決意したんです。

念願のILMに入社

──しかし、世界中のクリエイターが憧れるILMは超狭き門ですよね。どうやって入ったのですか?
確かにILMは1つのポジションに募集が出ると5000人を超える応募が来ます。そんな状況では、採用側はとても全員分のデモリールなんて見られないので、いくら才能あっても埋もれてしまう可能性が非常に高いんです。なので、会社も新しいクリエイターを募集する時は必ずはじめに社員に「こういうポジションで募集をかけるんだけど知り合いの中にいい人いないか?」みたいな感じで聞くんですよ。そこで最初のスクリーニングを行う。だからいくら才能や能力があっても人と繋がってなければ、希望の仕事に就けないことも多々あるんですよね。

僕の場合は、HydraulxからILMに移籍していた元同僚に頼んで、ILMのリクルーターにデモリールを渡してもらったんです。それを見てくれたリクルーターから連絡があって、面接をして、採用となったんです。採用といっても正社員というわけじゃなくて、最初は3ヶ月の業務委託という短期の契約でした。言うなれば試用期間ですね。その最初の仕事が『パシフィックリム』という映画のVFXでした。

最初はクリーチャー・テクニカルディレクターという肩書きで、 爆発や建物の破壊などのVFXを担当しました。この『パシフィックリム』のVFXを手掛けている時に、リクルーターが、僕のデモリールと経歴を見て、今までモデリングとかテクスチャーとかいろいろなことを経験しているということで、ILM内のいろいろな部署にデモリールを回してくれました。それでモデリングとジェネラリストとテクスチャーの3つの部門と面接してもらえて、ありがたいことに、3つすべてからオファーをもらえたんです。僕としては、今までジェネラリストとして全部の工程を経験していたので、それをやりたいと思い、ジェネラリスト、背景の部門を選んだんです。

そういうわけで、『パシフィックリム』が終わると契約延長となり、半年ほどジェネラリストとして別の映画のVFXを手掛けました。その後『トランスフォーマー』のVFXを1年間手掛けた後、正式に社員になれたんです。

その後、ついに『スター・ウォーズ・エピソード7/フォースの覚醒』に関われるチャンスがきました。

ついに子どもの頃の夢を叶える

──その時はどんな気持ちでしたか?
前にも話した通り、『スター・ウォーズ』は小学生の頃からの夢で、前の会社も『スター・ウォーズ』を作りたくて辞めたわけですが、ILMに入っても本当にできるかどうかはわかりませんでした。やっぱり『スター・ウォーズ』はみんなやりたいだろうし。もちろんスタッフをアサインするスーパーバイザーに「俺はスター・ウォーズを作るのが夢なんだ!」と何度もアピールはしていましたが、そんなのみんなやってますしね。

それだけに、『スター・ウォーズ』に関われるのが決まった時はものすごくうれしかったですね。ある日『スター・ウォーズ』プロジェクトのスーパーバイザーから僕が担当するファイルが送られてきたんですが、それを開けた時に、ミレニアムファルコンが飛んでるシーンがあったんですよ。それを見た時に、「おお、スター・ウォーズだ!」ってめちゃくちゃ感動してちょっと泣いたのを覚えてますね。


──どのようなパートを手掛けたのですか?
ファルコンが砂漠の中を帝国軍機から逃げる「デザートチェイス」というシークエンスの中の数ショットを担当しました。

──作っている時の気持ちは?
幸せの絶頂でした。「今、小学生の時に観て感動したスター・ウォーズを自分自身が作っているんだ」と思うと天にも昇るような気持ちというか、すごく感慨深かったですね。

ただ一番うれしかったのは、映画が完成して試写を見終わった時。今でも鮮明に覚えているのですが、本編が終わって最後のエンドロールでハリソン・フォードとかそうそうたるスターの名前が流れてきた後に自分のクレジットを見つけた時、言葉では言い表せないほど感激しました。夢を実現できたわけですからね。この時も少し泣きました(笑)。

自由度の高い働き方

──まさに映画になりそうな感動的なストーリーですね。現在の具体的な仕事と働き方について教えてください。
Senior Generalist ArtistとしてCGで映画の世界観、主に背景を作っています。ヒーローショットといって、背景を含めた1枚の絵を作るのがメインの仕事で、モデラーなどのスペシャリストと違って僕らはモデリングもテクスチャーもライティングもコンプまで全部手掛けます。

働き方は完全リモートで自宅で仕事をしています。オフィスに行くのは半年に1回ぐらいですね。しかも遊びに(笑)。

徹夜作業などはないどころか、基本的に週40時間以上働いてはいけないと言われているんです。それを破らず、指定された期限までに担当分の仕事きっちりやればほかは何も言われないですね。

今が一番楽で楽しい

──ILMで働いてみての率直な感想は?
めちゃくちゃ楽しいです。アメリカに来て以来ずっと楽しいんですが、中でもILMはちょっと変わっているというか、本当に全員、人としていいやつばっかりなんですよ。みんな自分のやっている仕事を愛しているというか、好きなことを仕事にしてるやつばっかりで。さらに世界最高峰のVFXの会社で働けていることに幸せを感じているんですよね。だからみんないいやつなんだと思うんです。


──ほかにILMに入ってよかったと思うことは?
やっぱり周りにいるアーティストは天才ばかりなんですよ。そんな彼らに刺激を受けて、引き上げられて僕自身のレベルもまたかなり上がったと思います。それも幸せなことですよね。これは僕だけじゃなくて、今のILMのクリエイティブのトップも「ILMのいいところは、周りに影響されてみんなのレベルがどんどん上がっていくことだ」と言っているんです。

例えば壁にぶつかった時、周りのアーティストに「ここ、うまくいかないんだけどどうすればいいと思う?」と聞いたら「ここはこうした方がいいんじゃないか」とか、すごいアドバイスをくれるんです。本当にいいやつばかりなんですよ。しかもデキるやつのアドバイスなので、言われた通りに直すと急によくなるんです。あとは仕事とか働き方について常に気遣ってくれる人も多いし。今が一番楽かもしれないです。

覚悟を決めてプレッシャーは無視

──その一方で、アメリカの場合は結果を出せないと容赦なく首を切られるという話をよく聞きます。その辺はいかがですか?
そうですね。これまで働いてきた会社もILMも同じです。僕が作ったものが監督とかスーパーバイザーの要求しているレベルに達していなかったり、方向性が間違っていたりすると「いや、これは全然ほしいものと違うからやり直して」とダメ出しされるし、何度作り直してもダメだったらすぐレイオフされますね。

──そのプレッシャーって感じないのですか?
ILM以前は感じたことはなかったですが、やっぱりILMに入った当初は感じていましたね。周りが天才だらけゆえに、「俺1人だけできないんじゃないか」みたいな不安感はすごくありました。でも、僕の場合はそれがプレッシャーになると、仕事のクオリティが下がるので、あまりプレッシャーには感じないようにしてきました。全力を尽くしてレイオフされたらしょうがないなと。

でも今は、ILMに入って12年目くらいになるんですが、1発で「すごい! 最高だ!」とOKをもらうことも多いし、ここまで首を切られずに生き残ってこられたので、一応、上層部をある程度満足させられるレベルのものを作ることができているんだろうなという自信がもてるようになりました。

夢をもつ若手のサポートがしたい

──今後の目標や展望を教えてください。
今は夢が実現した状態なので、具体的な目標はないのですが、強いて言えばできる限りこのままILMでいろいろなプロジェクトに関わりたいですね。

それと、やりたいこととしては、「自分もどうしてもILMで働きたい」というメールをくれる若い子がいるので、何らかの形で彼らをサポートしたいとも考えています。違う形でもこの業界を目指している次の世代の若い人たちの役に立つようなことをしたいですね。

──デジタルハリウッドの現在のスローガン「すべてをエンタテインメントにせよ!」をどう捉えていますか?
素晴らしいと思います。デジタルハリウッドらしいスローガンで、昔からブレてないですよね。僕自身も全くその通りだと思います。

夢をもつ若手のサポートがしたい

──在校生へのメッセージをお願いします。
どんな仕事も一生勉強がついてくると思うんですよ。特にこのエンタテインメント、コンテンツ業界にいるとコンピューターを使うことが多いのですが、コンピューターはハード、ソフトの両面で進化、イノベーションのスピードがめちゃくちゃ速いですよね。なので、常に最新の技術を勉強、キャッチアップして、自分自身をアップデートしていかなければいけません。基本的に勉強はめちゃくちゃ大変でパワーが必要ですが、好きなことって勉強とか努力しているという感覚じゃないと思うんですよ。先ほどもお話しましたが、僕もdhimaに入って一晩中パソコンの前に座って勉強していましたが、つらいとか苦しいと思ったことがないんですよね。むしろすごく楽しかった。

この業界で20年くらい働いているのでいろんな人に「すごく努力してきたんでしょうね」とか「頑張ってきたんですよね」と言われるんですが、僕としてはそんな感覚は全くなくて、ただ好きなことだから熱中して、楽しんでやってきたという感覚。それを他人から見たら努力というふうに見えると思うんですよ。好きなことを仕事にするのはめちゃくちゃ重要なので、在校生の皆さんはデジタルハリウッドでいろんなことにチャレンジして、楽しいと思うことをいっぱい見つけて、それを目一杯楽しんでやってほしいですね。それが将来、皆さんの武器になると思うので。

あともう一つは、職業人として生きる上で一番大切なのは技術やセンスよりも人との繋がりだと思うんです。結局、仕事をするということは人と付き合うことなので、重要なのは技術とかセンス、才能よりも、やっぱり人との繋がりなんですよね。その時にどういう人と出会って、どういう関係性を築けるかで人生のかなりの部分が決まる。

仕事って社会人になってから30~40年くらいするので、人生の大部分を占めるわけじゃないですか。その間いいこともありますが、悪いこともたくさんあると思うんですね。特にアメリカではレイオフがつきものだし、そこまで行かなくても上司とそりが合わなくてつらいとか辞めたいとか。そんな時に救いとなるのが人との繋がりなんですよ。特に同じ志をもって同じ時期に同じ学校で勉強した仲間というのは、すごく大切な宝物になる。そんな仲間を一人でもいいから多く見つけておくことが大事だと思います。

Industrial Light & Magic ILM Senior Generalist Artist
山田 義也さん

1968年、広島県出身。岡山理科大学機械工学を専攻。
卒業後、1990年、家電メーカーに就職。8年勤務後、1998年30歳の時に渡米、デジタルハリウッドU.S.A.校(dhima通称ディーマ:Digital Hollywood Institute of Media Arts) CG映像専攻に入学。
卒業後、講師の紹介でサンタモニカのPixel Envy社でインターンを開始。ミュージックビデオのVFXを手掛ける。その後正社員として2年間勤務後、Pixel Envyの社長がHydraulx社を起業するのに伴い立ち上げメンバーとして参加。約12年間モデリングスーパーバイザーとして『トランスフォーマー』、『パシフィックリム』、『スカイスクレーパー』などのアセットデベロップとショットワークを経験。
2012年、自身の夢であった『スター・ウォーズ』に参加するために、Industrial Light & Magic社に移籍。Senior Generalist/Environment Artistとして『スター・ウォーズ:フォースの覚醒』『ローグワン』『スター・ウォーズ:ラストジェダイ』等のスピンオフ作品、『マンダロリアン』をはじめとするTV シリーズや『アベンジャーズ』をはじめとするマーベルシネマティックユニバース、『アソーカ』、『ザ・クリエイター/創世者』などのVFXを手掛ける。

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