Interviewインタビュー

No.68

公開日:2023/10/06 

夫婦でデザイン事務所を立ち上げ、現在は3児の父に。熟練デザイナーのワークライフバランス

アートディレクターデザイナー講師 デジタルハリウッド東京本校

No.68

アートディレクター/デザイナー/デジタルハリウッド大学非常勤講師
滝川 雄貴さん
デジタルハリウッド東京校 総合ProコースMacマルチメディア専攻 1999年修了

デジタルハリウッドが開校したのは、1994年のこと。初期にデジタルハリウッドで学んだ方々は、企業で重要なポジションに就いていたり、独立したりとそれぞれのキャリアを重ねています。今回登場していただく滝川雄貴さんは、1999年にデジタルハリウッド総合Proコースを修了。その後、のちの奥様とデザイン事務所を立ち上げ、現在はアートディレクター・デザイナーとして、大学講師として、そして3人のお子さんの父親として幅広く活躍しています。家族を大切にし、家族とともに仕事をする。そんな滝川さんのライフスタイルを紹介します。
(※このインタビューは2023年8月当時の内容です)

濃密な時間を過ごした半年間の夜間コース

──滝川さんは、現在デザイン事務所「ソースボックス(srcbox Inc.)」の代表を務めています。1999年にデジタルハリウッドに入ったそうですが、どのようなきっかけだったのでしょうか。
僕がデジタルハリウッドに入ったのは、大学3年生の頃でした。大学では経営学を学んでいたのですが、ものづくりに興味があり、Tシャツのデザインをしたいと思ってMacを買ったんです。でも、今のようにネットで検索することもできず、IllustratorやPhotoshopの使い方がまったくわかりませんでした。そこで友達に相談したところ、「デジタルハリウッドにMacのことなら何でも教えてくれるコースがある」と聞き、通ってみることにしました。

──実際、デジタルハリウッドに通ってみての感想は?
僕が入ったのは、夜間に授業を受ける半年間コースでした。17歳から35歳くらいまで年齢も職業も違う人たちが学びに来ていて、夜間だからこその楽しさがありました。短期集中だったので、濃い時間を過ごしましたね。修了後も1年間、TAとしてアルバイトをしていました。


──デジタルハリウッド修了後、デザイン事務所を立ち上げたのでしょうか。
いえ。その後、桑沢デザイン研究所に入学しました。というのも、デジタルハリウッドに在学中、僕は当時講師をされていた方のデザイン会社でアルバイトをしていたんです。その先生はもともとプロダクトデザイナーですが、2000年頃にはWebやグラフィックデザインのお仕事もされていました。

僕もバイトでWebデザインしましたが、レイアウトを考えるうえでの基本知識や色彩感覚、フォントの使い方などが身についていなくて。デジタルハリウッドでMacのスキルを磨いたものの、デザインとしてうまく表現ができなかったんです。そのことを相談したら、先生は当時桑沢デザイン研究所でも講師をされていたため、「昼間はうちでバイトをして、夜は桑沢デザイン研究所に通ってみたら?」と勧められました。そこで、デジタルハリウッド修了後、大学卒業と同時に桑沢デザイン研究所に入り、デザインを学ぶことにしたんです。

ただ、桑沢デザイン研究所は課題が多かったのでバイトとの両立が難しく、1年目が終わったくらいでバイトを辞めることにしました。ただ、このバイトで現場を学んだのは大きかったですね。Webデザインをしながら先輩デザイナーの仕事を手伝ううちに、Webの知識やデザイン事務所の仕事について学ぶことができました。

──やっぱり学校と現場では、学ぶことも違いましたか?
全然違いますね。僕は今、デジタルハリウッド大学で講師をしているのですが、学生にも「バイトでもインターンでもいいから、現場に飛び込んでみたら?」と勧めるようにしています。教えられた知識だけでは、何かを生み出したり表現したりするのは難しいですよね。現場で経験を積むのが一番手っ取り早いし、自発的に仕事に取り組む姿勢も身につくと思います。

ひとつずつ大切に仕事することで、次の仕事につながる

──桑沢デザイン研究所卒業後に、いよいよデザイナーとしてひとり立ちされたのでしょうか。
そんな立派なものではなく、フリーターになるような感覚でしたけれどね(笑)。「仕事がなければコンビニでバイトをすればいいか」と軽い気持ちで、デザインの仕事を始めました。僕は当時、バイト先でデザイナーをしていた女性と付き合っていて、彼女も会社を辞めたところだったんです。そこで「じゃあ、ふたりで何かやろうか」と。それが現在の妻です。デジタルハリウッド時代の仲間から仕事をもらったり、彼女は彼女で知り合いに仕事を紹介されたり、そんな感じで少しずつ仕事を増やしていきました。

──お仕事の風向きが変わった時期、転機になった出来事などはありますか?
あまりないですね。僕は営業活動をしないので、すべて紹介で仕事をつないできました。ひとつずつ仕事をしていくと、そのプロジェクトに関わった方、制作会社のスタッフとつながりが生まれ、またそこから声がかかって新しい仕事がやってくる。その連続で今に至ります。考えてみると、危ない橋を渡っていますね(笑)。

──お仕事をする上で心がけていることはありますか?


僕はアーティストではないので、クライアントと話しながら方向を決め、そのうえで僕なりの味付けをしながらデザインしています。作ったものがどう活用され、どのような成果を生み出せるかを考え、ひとつずつ大切に取り組むことを心がけています。あとは、いただいた仕事はできるだけ断らないようにしていますね。45歳になっても、断るともう仕事を頼まれないんじゃないかという危機感が消えなくて(笑)。相談された案件は、できるだけ引き受けています。

──お付き合いされている方と一緒に仕事をすると、互いに甘えが出たり、揉めたりすることはないですか?
あまりないですね。というのも、僕と彼女では関わるプロジェクトが違うんです。僕の仕事はWebデザインとグラフィックデザインですが、彼女はイラストを描けるのでグラフィックとイラストの仕事が中心です。僕がデザインする冊子にイラストを描いてもらうといったことはありますが、基本的に案件も窓口も違うので揉めることはそれほどないです。

──おふたりがご結婚されたのはいつでしょう。
2005年です。そのタイミングで法人化し、事務所も引っ越しました。そこからさらに2、3年後に今の住居兼事務所を建てました。

──今、取材をしているまさにこの事務所ですね。2階が住居になっているのでしょうか。
そうです。この家を建てる時、僕らと隣に住んでいる親の二世帯住居+事務所を作りたいと建築家にお願いしました。それを汲み取って、こういう家になったんです。ただ、子どもがいるので、今は妻がこの事務所で仕事をすることはなくなってしまいましたが。

──お子さんはおいくつですか?
高1女子、中1男子、小4女子の3人です。3つ違いなので、同じタイミングで高校、大学へと進学するのでもう地獄です(笑)。


──3人のお子さんがいらして、二世帯住宅に親御さんまでいらっしゃる。まさに一家の大黒柱ですね。
それが、まったく威厳がないんです。昨日も仕事中、高1の娘から「雨が降ってきたから迎えに来られる?」とLINEが届きましたが、そんなに簡単に呼び出すなよ、と(笑)。大黒柱感が欲しいですね。

できる範囲の仕事をし、家族との時間を作る

──事務所と住居が分かれているとはいえ、同じ建物内にどちらもあると仕事とプライベートを分けにくいのではないかと思います。どのように区切りをつけていますか?
僕は、仕事とプライベートをあまり切り分けないタイプです。子どもと遊びに行っても、「あの案件どうしようかな」と仕事のことを考えますし、映画館に行けば「このチラシ、面白いデザインだな」と手に取ることも。そんなことをしていたら、子どもも面白いデザイン、ユニークな発想を見つけると写真を撮ってLINEで送ってくれるようになりました。デザイナーという仕事だから、こうした働き方になるのかもしれません。

──仕事とプライベートを区切ること=ワークライフバランスを保つことだと考えがちですが、滝川さんの場合、仕事とプライベートが重なり合っているようなイメージでしょうか。
そうですね。今は時代が変わりましたが、僕のバイト時代や事務所を立ち上げたばかりの頃は、終電で帰ることもしょっちゅうありました。忙しいのが好きなわけではありませんが、常に仕事のことを考えるという習慣が染みついているんですよね。

──仕事を詰め込みすぎてパンクしそうになったり、体を壊しかけたりといった経験はありますか?
10年くらい前はクライアントもギチギチに仕事をしていたので、「明日までにお願い」「金曜だけど月曜までに提出して」という無茶な依頼もありました。ただ、クライアントの体制も変わってきたので、最近はそういう激務はないですね。それに、講師の仕事があるので、授業中は絶対に動けません。事前に仕事を調整するので、パンクするようなこともありません。

──デザイナーを新たに雇って、事務所を大きくするというお考えは?
たまに考えますが、人を増やして会社を大きくすると僕の仕事は社長業になってしまいます。それよりも、自分で手を動かしたい。ですから、できる範囲の仕事をやりながら、家族との時間を作ることを大事にしています。こういうスタイルだからこそ、子どもが小さい頃は幼稚園の送り迎えなどもできたのだと思います。

──生活のうえで大切にしていることはありますか?


何でしょう……。子どもが元気に育てば、それで十分ですね。あとは、夕食はできるだけ家族と一緒に食べるようにしています。子どもがまだ小さい頃は、キャンプやアウトドア系アクティビティに出かけることも多かったのですが、長女はもう高1ですからなかなかそういう機会もありません。その分、夕食はなるべく一緒に食べようかな、と。

──生活は朝型ですか?
そうですね。朝4時半に起きて、5時頃には事務所に来ています。朝のほうが仕事もはかどりますしね。夜は18~19時には食事するので、そこで仕事は終わり。22時には寝る生活を送っています。

それぞれが個性を伸ばし、みんなで仕事を分け合うデジタルハリウッドスタイル

──昨年から、デジタルハリウッド大学で講師をされています。どういうきっかけだったのでしょうか。
10年くらい前から、女子美術大学で講師をしているんです。一緒に仕事をしていた人からの紹介で、「新しくアート・デザイン表現学科が始まるので、講師をやってみませんか?」とお話をいただいて。Webデザインや商品をみんなで作るような授業も行っていました。学生の作品に対し、どうやってコメントしようか、よりよくするために何をどう伝えようかと考えるのは、僕にとってもすごく学びが多かったです。

こうした経験もあって、デジタルハリウッド大学のWebの授業で、学生のデザインを評価する講評委員を頼まれたこともありました。そんな中、昨年大学のスタッフから連絡をいただき、1年生の「基礎ツール演習I」を担当することに。今年からは、ステップアップした「基礎ツール演習II」の授業も担当しています。

──デジタルハリウッドと女子美では、やはり学生のタイプも違いますか?
当然ながら、女子美は女子しかいないので空気が違いますね。それに、みんなイラストや絵が得意です。デジタルハリウッド大学は、男女両方いますし、留学生も3割近く占めていますし、得意分野もバラバラ。もうカオスですよね(笑)。


──あらためてご自身の過去を振り返り、デジタルハリウッドの楽しさはどこにあったと思いますか?
僕が通っていたのは半年間でみっちりスキルを学ぶコースだったので、地獄のように課題が多くて(笑)。だからこそ、みんな一生懸命に取り組んでいて、濃い日々だったんですよね。そういう日々の中で、徐々にクラスの人たちの個性も見えてきました。企画が得意、ものづくりが得意、イラストが描ける、プレゼンが上手など、得意分野がはっきりしたのが面白かったですね。そうやってギュッと濃密な日々を過ごしたから、同じクラスの人たちと信頼関係も生まれましたし、20年以上経った今でも付き合いがある人もいます。

──デジタルハリウッドでの日々、もしくは仕事をする中で見つけた滝川さんの得意分野は?
デザインの仕事は、クライアントの意向やプロジェクトの性質によって表現が変わります。相手の話を聞き、その意向を汲み取る力は、この仕事を始めてから身についたものかもしれません。例えば「ここをもう少し変えてください」と言われた場合、「もう少しってどれくらいだろう。ほんの少し色のトーンを変えるだけでいいのかな」と、相手の考えがなかなかつかめませんよね。ですから、初めて仕事をする方には細かくヒアリングして、意向を汲み取りながらデザインするようにしています。そういったコミュニケーション能力が、デザインの仕事には必要なんですよね。

最初にTシャツを作りたいと思っていた頃は、「デザインの仕事なら人と話さずにすむかも」と思っていたんです。でも、デジタルハリウッドでの日々は、まったくそうではなかった。杉山学長のポリシーだと思うのですが、みんなでワチャワチャやりながら、それぞれが個性を伸ばして、みんなで仕事を分け合うというスタイルなんですよね。最初は戸惑いましたし、自分が作ったものについてプレゼンするのも嫌で仕方がなくて(笑)。ですが、実際に仕事を始めると、自分が作ったものをクライアントに説明する機会はたくさんあります。コミュニケーションの大切さに気づくことができたのは、デジタルハリウッドのおかげかもしれませんね。

滝川 雄貴さんが学んだ校舎はこちら↓↓
デジタルハリウッド(専門スクール)東京本校

アートディレクター/デザイナー/デジタルハリウッド大学非常勤講師
滝川 雄貴さん

1978年、東京生まれ。デザイン事務所「ソースボックス(srcbox Inc.)」代表。
桑沢デザイン研究所を卒業後、2002年4月にソースボックスを設立、2005年に法人化。デザイナーとして、WEB・グラフィックの制作を中心に幅広くプロジェクトに携わりながら、デジタルハリウッド大学、女子美術大学で講師を務めている。

有限会社ソースボックス
https://srcbox.co.jp/

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