Interviewインタビュー

No.50

公開日:2022/05/25 

私を変えてくれた、デジタルハリウッドでの強烈な個性との出会い

アートディレクターデザイナー デジタルハリウッド大学

No.50

株式会社電通クリエーティブX クリエーティブデパートメント デザインチーム1 アートディレクター/デザイナー
小澤玲さん(デジタルハリウッド大学2010年卒業)

高校時代からデザイナーになるべく勉強してきたという小澤玲さんが、進学先に選んだのはデジタルハリウッド大学。先生や先輩、同級生との交流を通じて得た「自分の好きなことは隠さなくていい」という気づきは、その後の大きな糧となったそうです。デザイナーとしてさらなる一歩を踏み出そうとしている小澤さんに、お話を伺いました。
(※このインタビューは、2021年11月当時の内容です。)

高校の先生が勧めてくれたデジタルハリウッド大学に迷わず入学!

Q
小澤さんは、子どもの頃はイラストレーターに憧れていたそうですね。
A
そうですね。イラストレーターになりたいなとぼんやり考えていたのですが、高校受験をきっかけに「これからはパソコンに触れないと……」と思い、パソコン環境でデザインが学べる高校へ入学しました。そこでデザインの楽しさに触れ、将来はデザイナーになりたいな、と。
Q
それでデジタルハリウッド大学に?
A
進学のきっかけは、高校の先生に「行くならデジタルハリウッド大学」と勧められたことです。両親も、上京することに背中を押してくれたので東京で挑戦してみようと受験することにしました。
Q
デジタルハリウッド大学で、印象に残っているエピソードはありますか?
A
キャンパスでの思い出がたくさんあります。当時は毎週金曜日、キャンパスのあるビルがオールナイトで開放されていたのですが、友だちと一緒に自主制作や課題に取り組んでいました。サークルでの合宿も思い出深いです。私はグラフィック専攻だったのですが、高校の先輩が参加していたご縁で、黑田順子教授のCGサークルに所属していました。八王子校舎で全学部合同の合宿をたびたびしていたのですが、数日間泊まり込みで共同生活をしました。朝、昼、晩のご飯は当番制で作って、誕生日の人がいたらお祝いしたり、文化祭で展示する粘土作品制作や、自主制作、夜中に体育館でバレーボールなんかもしていました(笑)。GR・CG・映像・WEB、それぞれの専攻によって雰囲気が違っていて、いろんな人と交流できたのが楽しかったですね。
Q
先生や先輩、仲間たちとモノづくりに励むのは、得難い体験でしたね。
A
はい。先輩や同級生とのモノづくりを一生懸命行っていたという印象が強いです。展示会を開いたり、デザインフェスタに出展してイラストや手作り小物の販売をしたり。作るだけでは自己満足で終わってしまうから、せっかくなら誰かに評価してもらいたくて。「自分の作品を手に取ってもらうには、どういう工夫をしたらいいのか」と考えながら印刷手法にも興味を持って、シルクスクリーンを刷る環境を自宅に作ってみたり。あの頃は、画材屋と電気屋を徘徊してましたね(笑)。卒業制作では、藤巻英司先生に印刷会社を紹介していただいて、初めて活版印刷にも挑戦してみました。実践的な経験は、いまの仕事にも生きていると思います。
Q
小澤さんの中では、人との出会いというのがデジタルハリウッド大学での何よりの財産だったと。
A
そうですね。よい意味で「クセが強い」人がたくさんいました。デジタルハリウッド大学では「オタクである」こともだれも隠さない(笑)。当時は今と違って、まだ「オタク」に対して世間からはネガティブな印象が残っていた時代です。だから余計、大学にいる人たちの好きなコトを隠さず、オープンでいるという姿勢が印象的でした。不思議なバランスで人との繋がりができていて、異色な組み合わせだなと思うことも。学生の頃ってだいたい同じ感覚の人同士でグループができて、それ以外のグループとはあまり関わらないじゃないですか。けど、デジタルハリウッド大学ではその境界線があまりなくて。今も仲よくしてもらっている大学の友だちを思い浮かべてみると、なんでこの人と仲良くなれたんだっけ?という人ばかりでした(笑)。あと、ゼミでお世話になった先生から卒業後も気にかけていただけてるので嬉しいですね。当たり前ですけど、デジタルハリウッド大学に入っていなかったらこの出会いはなかったので、入学してよかったと思っています。
Q
印象に残っている、または現在の仕事に生きている授業はありましたか?
A
藤巻英司先生のゼミに所属していました。デザイナーとして現役で仕事をされながら講師を行っていた方だったので、先生の授業ではアイデアの出し方や提案、また、CDジャケットや本の装丁などのグラフィックを手がけられている川瀬豊先生からは、私が今関わっている仕事に、より近い内容のこと、例えば印刷についてなど、制作の工程について学ばせていただきました。

個性ゆたかな人々と渡り合うスキルは大学で培った

Q
電通クリエーティブX(クロス)ではどのようなお仕事をされていますか?
A
新卒で入社してから、ずっとデザイナーとして活動しています。具体的には、最初の6~7年は、メーカーの商品のカタログや店頭展示台、イベントツールなどのデザインをしていました。今はチームが変わり、いくつかクライアントを掛け持ちしながら商品広告、店頭周りで使うグラフィックやWebページを制作しています。もともとは紙の仕事の方が多かったですが、最近はデジタルの制作が多いですね。また、アートディレクターとしての仕事も増えています。
Q
仕事をされる上で喜びを感じる瞬間、逆に難しさを感じる瞬間を教えてください。
A
やっぱり、携わった商品のグラフィックを目にしたときや、クライアントから感謝の言葉をいただけた時、ですね。ひとつクライアントを継続して担当できるということは、少なからず信頼いただけてるということだと思うので、大切にしていきたいです。グラフィックの評価が高かったときはうれしいですね。仕事をしていて難しさを感じるのは、時間の使い方です。デザインには明確な終わりがないので、デザイナーとしては、細部まで手を入れたいから時間はあればあるほど嬉しいけれど、なかなかそんな贅沢な案件ないですよね。あと、突発的なことが多い。20代の頃は休日に予定をいれるのも怖くて、友だちと旅行へ行くときも3日前とかに足と宿を決めていました。30代半ばになってようやく、少し抵抗してみる、という技が使えるようになりましたね(笑)
Q
現在のお仕事をされる上で、大切にされている考えはありますか。
A
「仲間意識を持ってやる」ということに、重きを置いています。タイトなスケジュールの中で、うまく案件を回すためには、一緒に仕事をする社内の人間との円滑なコミュニケーションが大事です。私としては、どんな個性にも身を任せていけるという自分の強みを生かして、人と人をうまく回せるハブのような存在でありたいと思っています。

本来、私は引っ込み思案な性格で、人と話すことがそれほど得意ではありません。今思うと、デジタルハリウッド大学で出会った人たちは、社会人になってから出会った方々が普通に感じてしまうほど、個性の強い人たちばかりだったのでだいぶ鍛えられたのだと思います。彼らと出会ったおかげで、どんな人とでも臆することなく会話できるようになったことも、今の仕事に生きていますね。

新しいことにチャレンジしてみる

Q
今後のご展望についてお聞かせください。
A
広告制作のデザイナーとして10年経ちましたが、今はブランディングにも興味を持っています。そんなことを考えていたら、コーヒー豆を栽培している友だちから、新しいブランドを立ち上げるから手伝って欲しいとお声がけいただいて、一緒に取り組むことになりました。お互い、ゼロからのスタートなので手探りしていかなくてはいけませんが、新しいことにチャレンジできることが楽しみでもあります。広告という仕事にとらわれず、幅広く活動していきたいと思っています。
Q
デジタルハリウッドの現役の在学生や卒業生、関係者など、インタビューを読んでいる読者にむけてメッセージをいただければと思います。
A
一言でクリエイティブの仕事といっても、CGだったり、映像だったり、Webデザインであったり、さまざまなジャンルがあります。卒業生が活躍している業界や分野も人それぞれだと思うのですが、そんな個性ゆたかな卒業生たちが一緒に組むことで何かできるのではないかと、漠然と感じています。個人的には大学の友だちで疎遠になってしまっている方もいるので、デジタルハリウッド校友会を通じて再び繋がりが生まれたらうれしいですね。


卒業後も大学の同期と仕事をすることがあるそうです。一番左が小澤さん、その右隣が同期の須藤さん

小澤玲さんが学んだコースはこちら↓↓
デジタルハリウッド大学

株式会社電通クリエーティブX クリエーティブデパートメント デザインチーム1
アートディレクター/デザイナー
小澤玲(デジタルハリウッド大学卒業)
2010年にデジタルハリウッド大学卒業後、株式会社電通クリエーティブXへ入社。デザイナー、アートディレクターとして販促物やカタログ、イベントツールなど幅広く手がける。

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