Interviewインタビュー

No.17

公開日:2019/06/03  取材日:2019/04

従来の生花店をアップデートし、新たな価値を創造 鳥取からネットワークを広げる校友会会長の挑戦

デザイナー社長 STUDIO京都

No.17

デジタルハリウッド校友会会長/花工房あげたけ取締役
根鈴 啓一さん(デジタルハリウッド京都校卒業)

このインタビューは2019年4月当時の内容です。

あらゆる産業界にデジタル人材が必要になる

Q
根鈴さんがデジタルハリウッドに入学したのはいつですか?
A
2000年7月です。当時は大学4年生で就職先も決まっていましたが、今後成長が期待される分野ということだけで就職先を決めてしまった自分に少しモヤモヤしていたんです。そんな中「自分を表現できる仕事って何だろう」と考えはじめ、95年に初めてインターネットに触れて感動したことを思い出したんです。大学でも経営情報処理というPCを使ったマーケティングの授業を専攻したり、htmlに触れていました。そうしているうちに「インターネットは社会を変える」と思いはじめ、インターネットについて人脈のできる場所を調べたところ、ちょうどデジハリ京都が設立されるタイミングだったんです。就職せずに、デジハリに入ろうと決めました。
Q
2000年頃というと、ちょうどネットが盛り上がっていた頃ですよね。
A
1990年代後半に携帯電話がネットにつながるようになり、大きな可能性を感じていました。大学に通いながら起業した友人もいたので、僕もその仕事を手伝い、ますます興味が深まっていきました。
Q
デジハリでは、どんなことを学びましたか?
A
Webデザインを半年間学びました。でも、印象に残っているのは、Web制作よりもデジタルコミュニケーションという考え方です。説明会に参加した時、学長の映像が流れ、「今後デジタルコミュニケーションが社会のインフラになる」「水や空気のようにインターネットが存在する世界で、誰もがデジタルという大きな波を乗りこなし、自分らしい人生を自分の力で切りひらく力を学べる場がデジタルハリウッドである」というお話をされていて深く共感したのを覚えています。

デジハリ京都には、有名な上場企業に勤務されている方々もたくさんおられました。みなさん大企業を離れてデジタル業界への転職し、新しい流れに乗ろうとしているわけです。その人たちの印象は転職への覚悟というよりも、インターネットという大きな変化に対してポジティブに素早く行動されているという感じで、当時学生だった自分としてはそのような方たちとの出会いがとても刺激的でした。

Q
卒業後はどうされたのでしょう。
A
インターネットプロバイダーの企画・コンテンツ制作会社で働くようになりました。並行して、デジハリでTA(ティーチングアシスタント)もやっていました。そんな中、お世話になっていたデジハリの方のお誘いを受けてデジハリ横浜に働くことになったんです。「来ないの?」と軽く言われ、その選択肢もアリだなと。

当時のデジタル業界を俯瞰すると、仕事も人材も関西より都内のほうが圧倒的に豊富だったと思います。仕事の金額もケタがひとつ違いました。関西にいながら都内の状況を知る中で、まだ20代のうちに様々な環境に身をおき、いろいろなことを吸収してみたい、人を育てる分野で働きたいと思うようになり、デジハリ横浜で仕事をすることを決めました。

Q
実際に横浜に行った感想は? 当時の都内のデジタル業界は、いかがでしたか?
A
デジハリ横浜については、当時のデジハリ京都にはなかったCG・VFX・映像・ゲーム・グラフィックデザインのコースがあり、これまではWebのことしか知らなかった自分にとってはとても刺激的でした。関西から出てきた感じた都内のデジタル業界の雰囲気は、何だろう、まさに業界をつくっているという進行形の空気感を感じました。
Q
デジハリ横浜では、どんな業務をされていたのでしょう。
A
主に入学希望者の相談窓口を担当していました。その後現場責任者になってからは横浜市や地元企業と連携しながら受講生の成長機会を開発するOJTに積極的に取り組みました。産学官連携をとおして社会にデジタル人材の価値やデジタルハリウッドを理解してもらう機会を作ることに注力していましたね。
Q
その中で、人が育っている実感をどう捉えていましたか?
A
当時、卒業生をインタビューする業務もしていたんですが、卒業生の活躍には大変勇気づけられていました。成果を出している卒業生や、自分らしく活躍している卒業生には共通点があり、それを取材をとおして学ばせていただき、入学検討されている方に伝えるようにしていました。
Q
その後、部署を異動されるわけですが。
A
広報室に異動になりました。それまではクリエイターになりたいというお客様のそばで仕事をしていましたが、本部に配属され、会社の方針により深く関わることになりました。付き合うお客様も、あらゆる業界の企業の方や、すでにプロとして活躍されているクリエイター、監督、プロデューサーの方が中心に。転職したんじゃないかというぐらい、業務内容もガラッと変わりました。
Q
どんな点にやりがいを感じていましたか?
A
入社して7年ほど経っていましたが、当時は仕事に悩むこともあって笑。。そんな時に広報室に配属されました。全くの未経験ですから、経験者やベテランスタッフ、PR会社の方々に仕事を教えてもらい、なんとか転がりながら業務を覚えていったんです。その過程を通じて広報という仕事の意義と面白さに気づき「この仕事、大好きだな」と思うようになりました。

広報の仕事は「広く発信する」と思われがちですがそれだけではなく、世の中と合意形成を取れるようコミュニケーションしていくことが大切なんです。僕はコンピューターも好きですが、それ以上に人が大好きなんです。様々な立場の人とデジタルハリウッドの間にストーリーを作っていくことに強いやりがいを感じていました。

社会と会社の間で仕事をしているようなものなので大変なことも多いのですが、先生方や学生さん、同僚や取引先の方に助けられながら学び働いていた日々がとても印象的です。

花を売るのではなく、「花を通じた体験」を提供したい

Q
現在は、鳥取で家業を受け継がれたそうですね。どんな思いがあったのでしょうか。
A
故郷の鳥取に帰ったのは2年前、40歳のことでした。実は、杉山学長がデジハリを創設したのも40歳の時なんです。学長の取材に立ち会う中でその当時のエピソードを聞き、「40歳になった時、自分はどうするんだ」と強くイメージするようになりました。デジハリでたくさんの人が成長していく光景を眼の前し、何百人もの卒業生を取材していくうちに、僕自身も彼らのように予想しにくい時代を自分の足で歩んでいきたいと強く思うようになりました。

僕はデジハリで産学協同による地域を活性化に関わっていたこともあり、地方の魅力と課題について考えることが多くあったんです。僕の実家が経営しているような小規模事業者が、承継者がいないことで倒産し、地方の多様性や魅力が自然減していくことに自分なりの課題意識を持っていました。「僕が関わってきたテクノロジー、広報、地域活性化というキーワードで課題先進国の中の課題先進県でできることがあるのではないか」、
「僕の知っている地方の豊かさの中で子どもとの時間を共有したい」という思いは徐々に強くなり、時間をかけて家族とも話し合い、実家の家業「花工房あげたけ」を第二創業という形で受け継ぐことに決めました。

Q
現在は、生花業を営まれているそうですね。
A
実を言えば、花には全然詳しくありませんでした。でも、逆にそれがいいかもしれないと思ったんです。僕は花には詳しくないけれど、デジタルコンテンツに詳しく、デジハリ時代に広報を経験したり、地域にも関わったりしてきました。その知見を花屋にインストールして、新しい価値観を生み出せるんじゃないかと思ったんです。そして花は物理的なモノとしての活用より、気持ちを伝える・感情や心を動かすシーンで活用されるものなので、広報の業務経験とも相性が良いと考えていたりします。
Q
今までの花屋とは、どんな点が違うのでしょうか。
A
ただ花を売るのではなく、花を通じた体験を提供できるように心がけています。花屋さんは母の日や卒業式など年間の中でいくつか需要期があるんです。あとは冠婚葬祭や誕生日とか。需要に対して商品でこたえていくわけですが、これを繰り返すだけでは花という商品価値は消耗されていくだけになります。うちには花が本当に大好きで、花の力を理解しているスタッフがいるので、「自分だったらどんな商品が欲しい?」「本当にそれが欲しい?」など自問し、花や植物を活用した「体験」を料理してもらっています。
Q
「花を料理する」とは、具体的にどういうことですか?
A
花屋では農家さんが丹精込めて作られた花を仕入れし、商品にしてお客様に提供します。レストランが食材を仕入れ、料理して提供するのと同じですね。そうなると料理が美味しいはもちろんのこと、料理を楽しむ時間が最高の時間になるように考えます。花屋も花で商品を作るのはもちろんのこと、花を通じて得られる体験までデザインする必要があると考えています。需要にこたえることもとても大切ですが今後は花屋もサービス業化していくと僕は考えています。
Q
今後の展開は?
A
経営に関わってから2年、最近ではスタッフが仕入れを工夫したり、お客様とともにつくる商品を企画したりくれたり、行動が変わってきています。今後は僕たちが大切にしてる指標をテクノロジーを活用してしっかり商品・サービスに反映し、既存の花屋の概念にとらわれない経営をしていきたいと考えています。

卒業生のネットワークを価値にしたい

Q
こうした実業と並行して、デジタルハリウッド校友会の会長もされています。
A
僕はデジハリで約300名の卒業生を直接取材しましたが、知れば知るほどデジタルハリウッドの卒業生ってすごいんですよね。職場としてのデジタルハリウッドを離れてから、特にそのように感じています。この校友会ネットワークは校友会員はもちろんデジタルハリウッドの周辺の人たちの価値になれるし、デジタルコンテンツ分野に限らず、あらゆる業界の発展に寄与できると確信しています。デジタルコンテンツ業界の外から、デジタルハリウッドの生み出している価値(卒業生)を広めていきたい、そのように考え、校友会会長に立候補しました。
Q
今後、校友会をどのように進化させていきたいですか?
A
これまでの校友会の理事についてはスクールの卒業生や都内在住者が中心でしたが、現在はデジタルハリウッドの運営する大学・大学院・スクール出身の理事メンバーがおり、卒業時期も古い方から新しい方まで、そして都市部にも地方にも理事がいるという多様性ある理事組織となっています。母校の発展に寄与するという目的を共有しながら、各分野で具体的なサポートやサービスを企画提案し、校友会を盛り上げていければと思います。
Q
根鈴さんご自身のお仕事については、どのような展望をお持ちですか?
A
展望ではないのですが、ポジションを取りながら自身も会社も成長していきたいと考えています。
父親になったり、経営者になってみてわかることって本当にたくさんあるんですよね。知ってるつもりになっていた自分がホント恥ずかしくなるくらいに。
事業でも個人でも僕でも人のためになりたいと思ったとき、自分の性格上、ポジション取らないとやらないなと思ったので、とりあえずポジションとるようにしています。今年に入ってからも、小さなことですが、花以外のジャンルの仕入れ先を開拓したり、県立高校で講師をしてみたり、町のブランディングを提案してみたり。そうやってポジションを取ることで僕なりに経験値を積んで、年老いても多様な人たちと楽しく働きたいと考えています。

インタビュー:野本由起

デジタルハリウッド校友会会長/花工房あげたけ取締役
根鈴 啓一さん(デジタルハリウッド京都校卒業)

2000年、デジタルハリウッド京都校 Webデザイナーコースに入学。その後、デジタルハリウッドに入社し、東京・渋谷・横浜などのスクール担当を経て本部広報室担当に。現在は、鳥取で生花店を経営。ただ花を売るだけでない、花と植物を通じたコミュニケーションデザインに従事している。2019年度からデジタルハリウッド校友会会長に就任。
花工房あげたけ https://agetake.co.jp/

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