Interviewインタビュー

No.16

公開日:2019/05/07  取材日:2019/03

福岡、大阪から校友会の輪を広げたい! デジハリ名物講師がインタビューに登場

Webデザイナーディレクター講師 STUDIO福岡デジタルハリウッド大阪本校

No.16

デジタルハリウッド専任講師/Webデザイナー
栗谷 幸助さん(デジタルハリウッド福岡校卒業)
Webディレクター
菊池 大志さん(デジタルハリウッド大阪校卒業)

このインタビューは2019年3月当時の内容です。

目標に向けて努力する「やりたい人」、その場をより良くする「ありたい人」

Q
お二人は、現在デジタルハリウッド校友会の理事を務めています。そもそもデジハリに入ったきっかけは?
A
菊池:僕が入学したのは2007年です。当時勤めていた会社で印刷物のデザインなどをしていたのですが、上司が「これからはWebでも広告を打たないと」と言い始めたんです。最初は独学でサイトを作っていましたが、だんだん楽しくなって新しい知識を身につけたくなって。そこでデジハリに入学しようと思い立ち、半年間Webのコースに通いました。

栗谷:僕は1999年に福岡校のWebデザインコースの一期生として入学しました。大学は商学部経営学科だったのですが、当時はまだインターネットもなくて。商品を売ったり人とコミュニケーションを取ったりするのは好きだったので、九州で大型スーパーや百貨店を手掛ける会社に入り、鮮魚から紳士服まで売っていました(笑)。そんな中、人事異動で新卒の採用担当として本部に配属されることに。そこでインターネットと出会ったんです。当時は、新卒の応募者がWebからデータを入力できるようになったばかり。でも、そのインタラクティブ性が「今までのメディアと違っていて面白い!」と感じました。

僕が流通業でやりたかったのは、ものを仕入れて、売り場を作って、客動線を作って、商品を購入した方に喜んでもらうこと。Webも情報を集め、売り場を作るようにサイトをデザインし、動線を考え、世界中の人々を相手にできます。自分がやろうとしていたことを、Webならより効果的に、しかも一人で実現できる。そう考えたらだんだんWebの勉強をしたくなり、仕事をスパッと辞めてデジハリに入学しました。

Q
お二人とも半年間にわたってデジハリで学ばれたわけですよね。卒業後はどうされたのでしょう。
A
菊池:僕は会社勤めをしながら学校に通っていたので、そのまま会社に残り、学んだスキルを突き詰めていくようになりました。当時は身近にホームページを作れるクリエイターが少なく、取引先から「うちのも作ってくれへん?」と相談を受けることも。デジハリに通ったことで知識と自信がつき、会社としてWebサイト制作の仕事も取引先から請けるようになりました。その会社には10年ほどお世話になり、2014年にフリーランスとして独立しました。
Q
フリーになってからは順調でしたか?
A
菊池:ゼロからのスタートだったのでとても苦労しました。すでに結婚していたので、妻はよく承知してくれたと思います。当時は社内の世界しか知らなかったので、人間関係を構築すべきという発想も頭になくて。営業回りをしようにも、そんな根性もない。「どうしよう」と思っている時に妻の知り合いに誘っていただき、異業種交流会に参加したんです。面倒見もいい方もいるもので、「独立したばかりです」と言うといろいろと交流会に誘っていただけるようになりました。お金はないけれど暇はあるので、3ヶ月ぐらいは誘われた会合にはすべて出席しましたね。そのうち、ひとりふたりとオーダーをいただいて。一生懸命取り組んでいると、また次の取引先を紹介してもらい……と仕事が回るようになりました。
Q
やはりフリーランスは、人とのつながりが大事なんですね。フリーになろうと考えている人に、アドバイスを送るなら?
A
菊池:仕事につながりそうな人間関係を作っておくだけでも、その後の苦労が減るでしょう。僕のようにゼロからスタートしたとしても、人と関わっていけば道が開けるはず。
Q
栗谷先生は、会社を辞めてデジハリに通い始めましたよね。その後はどうされたのでしょう。
A
栗谷:僕は全くの初心者として入学しましたが、入ってみたら周りのみんなはPCをガシガシ動かせるんですよ。「初心者でも勉強できます」と言われていたものの、それを見て焦ってしまって。当時は、半年コースの授業料が70万円ぐらいだったかな。自分で教育ローンを組んだので、「このままだと70万をドブに捨てることになるかもしれない!」と危機感を覚えました。そんな中、僕と同じように1本指でキーボードを叩いている初心者が、ほかに3人いたんです。彼らを捕まえて「周りを見ろよ、俺たちヤバいぞ」「遅れるわけにいかないから一緒に勉強しないか」と持ちかけ、TAさんにお願いして4人で勉強することにしました。在校生の交流イベントを企画して、その告知ツールとしてWebサイトを制作したり、いろいろやりましたね。

それから半年近く経ち、「学校では一通り学んだけれど仕事で通用するのかな」と心配になり、制作会社経由でWebデザインの仕事をするようになりました。すると、ちゃんと仕事になるんですよ。「デジハリは教えていることが確かだな」と思いましたし、フリーランス心も湧きあがってくるようになったんです。でも、スピードと仕事を取ってくる営業力が足りない。この2点をカバーするために、仲間とユニットを組むことにしました。

Q
卒業後も、そのユニットで仕事をするようになったんですね。
A
栗谷:そうですね。それぞれの家を仕事場としつつ、ネットで案件をやりとりして。取引先が大きくなってきたので、コワーキングスペースを利用したり、最終的には自分たちで事務所を借りたりするようになりました。最初の頃に意識したのは、ユニットの誰がデザインしたとしても「僕らが作りました」とユニット名を出すこと。そうやって案件を増やしていきました。でも、最初はそれだけでは食っていけず、福岡校のTAも兼任して。その流れで講師に誘っていただき、2000年からデジハリの教員に。これが今につながる教員業のスタートでした。
Q
その後は、講師とフリーランスの仕事を両方続けていったのでしょうか。
A
栗谷:性に合っていたのか何なのか、講師のほうが楽しくなってきて(笑)。みんなが「わかりやすい」と持ち上げてくれたのも、うれしかったんでしょうね。もともと先生になりたかったわけではありませんが、だんだん講師の比重が大きくなっていきました。そんな中、たまたま某企業の方が福岡に来た際、僕が企業講師をすることに。

そこで教える力を評価していただき、「東京に来て専任講師になって、カリキュラム作りからやってみないか」と声をかけてもらいました。そこでフリーランスのユニットからは一度離れて、東京で専任講師をすることにしました。それが2004年の秋ですね。まだ福岡校でも教えていたので、最初の1、2ヶ月は御茶ノ水と福岡を行ったり来たりしていました。それまでは客員講師でしたが、そのタイミングでデジハリ社員兼教員になりました。その後、2005年にオンラインスクール、2007年からは大学でも教えるように。カリキュラム開発、映像教材への出演なども担当するようになりました。そして3年前、故郷の福岡に拠点を移すことに。現在は半分福岡、半分東京という形で仕事をしています。働き方改革の機運も高まっていたので、デジハリもチャレンジしてくれたのでしょうね。

Q
教える仕事のやりがいは?
A
栗谷:指導したみなさんが、世に出て活躍されることですね。数年後に活躍している姿を目にしたり、一緒にお仕事をしたりするのが一番の喜びです。もちろん、教えている時に人が成長する瞬間に立ち会えるのも、とてもうれしいことです。
Q
お話をうかがっていると、栗谷先生は「自分たちにはこれが足りない」という現状分析を冷静にされていますよね。そして、足りないものを補うために行動も起こしています。
A
栗谷:世の中には、「やりたい人」と「ありたい人」がいると思うんです。「ここに到達したい」という目標に向かっていくのが「やりたい人」。この場をどう幸せにするかを考えるのが「ありたい人」。僕はどっちかというと「ありたい人」なんです。何億円稼いでリッチな家に住んで……と目標に向けてバリバリ進むより、この場を気持ちいい状態にしたいタイプ。そのためにどうすべきかは、確かに考えるかもしれません。
Q
面白い比較ですね。菊池さんは、どちらのタイプですか?
A
菊池:僕も先生と一緒ですね。先のことは大して考えていません(笑)。でも、身の回りをより良くするために動いていたら、昨年末に法人化することになりました。フリーランスで仕事をしていると、長くお付き合いが続くクライアント様が増えてきて。新しい案件を手掛けていると、既存のクライアント様をフォローする時間が足りなくなってきたんです。それに、僕の身に事故や病気など、万が一の事態があった場合、僕が預かっているサイトのデータ、サーバの情報をどう引き継げばいいのかという問題もあります。法人であれば、「うちの会社で預かってますよ」と言えますし、何があってもきちんとフォローできます。今後も預かった仕事の責任を果たすため、クライアント様のWEBサイトを守る為にも法人化をしました。
Q
身の回りの問題を解決していくことが、ステップアップにもつながったわけですね。
A
菊池:そうです。それに、Webの仕事は自宅でもできますよね。今は1歳半の子供の育児を手伝うこともあるのですが、子育ての大変さを身近に感じると、子育て中に外で働くのは大変だなって感じます。WEBのお仕事であれば、子育て中のママさんを助けられるんじゃ無いかなって思って、ママさんの雇用には積極的に動いています。

卒業生の困りごとを解決できる、“頼れる校友会”を目指して

Q
そんな菊池さんが、デジハリ校友会の理事を務めるようになった経緯は?
A
菊池:勉強会に顔を出した際、デジハリ卒業生の女性と出会ったんです。最初はその方が理事に誘われたのですが、小さいお子さんがいるので難しいという話に。そこで、代わりに僕に声をかけてくださったんです。お世話になったデジハリに関われるのは願ってもないことですから、喜んでお引き受けしました。
Q
校友会理事としてどんなことをしたいと思っていますか?
A
菊池:校友会ではみんなの「困った」を解決するサポートができればと思っています。それと、デジハリ生に限らず、クリエイター同士の横のつながりも広げたいんですよね。僕自身、フリーランス時代に孤独を感じていたので。
Q
つながりを広げることに意欲的ですよね。
A
菊池:実はもともと人が苦手で、学生時代は登校拒否児の引きこもりだったんです。ただ、人に嫌われたくないという気持ちが異常に強くて。だからこそ、人と関わる時に愛想が良いんです(笑)。愛想良くしているからこそ、面倒見のいい人が「こいつの面倒みたろかな」と思ってくれる。人を泳いでいけば、人生なんとかなるということを身をもって知っているんです。
Q
実際に人間関係が広がり、仕事に結びついているのがすごいです。
A
菊池:校友会理事の話もそうですが、望まなくても「こんなんやってみぃへん?」と席を用意していただけることが多くて。「僕で良ければ」と、ひたすらチャレンジしています。誰かの受け売りですが、僕は「頼まれごとは試されごと」という言葉が大好き。何か頼まれたら「これは試されてるのかな」と思って、とにかく一生懸命頑張る。ただただそれのみです。
Q
栗谷先生が、今期の理事を務めることになったのは?
A
栗谷:もともと校友会発足当初にも理事を務めていました。3期ほど続けましたが、ほかのみなさんにも協力していただきたいので一度退いたんです。でも、校友会の活動はどうしても東京中心になりがちです。地方をどう盛り上げ、東京とどうつなげていくのか、もっと考えなければなりません。今期は大阪の菊地さんが理事、鳥取の根鈴(啓一)さんが会長を務めています。僕も福岡にいるので、この場所からもう一度校友会のためにできることがあるのではないかと思いました。
Q
どのような展望を抱いていますか?
A
栗谷:約12年ぶりに福岡に戻りましたが、卒業生のみなさんは本当に頑張っていらっしゃるんですよね。それぞれ活躍しているのですが、会社名が前に出るため「実は社長がデジハリ出身なんです」ということがなかなか伝わりません。ですから、菊池さんの言うように横のつながりはぜひ作りたいですね。福岡でコミュニティをつくり、そこから東京をはじめ各エリアとつなげたいと思っています。

ほかにも、菊池さんが提案するアイデアがとても素晴らしいんですよ。例えばフリーランスのクリエイターで、知財に関する知識がなくて困っている方って多いのではないでしょうか。でも、相談できるところって意外と少ないんですよね。それこそ校友会でサポートするべきじゃないかなと思います。デジハリ卒業生が仕事において活躍するうえで、必要なことを頼れる。それが校友会の意義じゃないかなと思うんです。そのお手伝いをできないかと理事会で話しているところです。

菊池:僕がフリーランスだった時、いろいろと困ることが多くて。弁護士などのプロに頼ればいいのかもしれませんが、お金がかかるのでなかなか気軽に相談できません。税務処理にしても「どうすればいいんだろう」と悩むことが多く、誰に頼ったらいいかもわかりませんでした。そういう方々に向けて、「大阪だったらこういう人がいますよ」と提案できたらすごく安心できるんじゃないかと思います。

また、校友会の理事になってから卒業式や卒業制作展に参加するようになり、大きな刺激を受けています。普段は大阪にいるので、東京で開催しているイベントに参加するのはなかなか難しい。実際どういうことをしているか中身が見えないので、余計に腰が重いなと感じていました。でも、いざ来てみたらとてつもなく刺激的なんです。「これを知らずして、大阪に引きこもっているのはもったいない!」と強く感じました。

Q
確かに面白そうですね。
A
菊池:卒業制作展を見て、スクールと大学・大学院とでは“クリエイティブ”の意味も全く違うと感じました。大学・大学院は一から創造するクリエイティブ。僕らが普段やっているのは、手を動かしてWebサイトを制作するクリエイティブ。でも、大学・大学院生からクリエイティブの刺激を受けると、制作もめちゃめちゃ熱くなるはず。ぜひともそれを伝えたいんです。

個人的な話をすると、僕は中学までしか卒業していません。高校には入学もしていなくて。そんな僕が今抱いているのは、大学に行きたいという夢です。しかも、デジタルハリウッド大学に行きたい。僕の子どもは今1歳半ですが、会社が軌道に乗ったら、子どもと一緒に高校や大学に通いたいんですね。先ほど「やりたい人」と「ありたい人」の話が出ましたが、僕にとって唯一の目標はそれなんです。

栗谷:すごく素敵じゃないですか。デジハリの大学院にも62歳の方が通っていましたし、発表でグランプリを獲りましたよね。

菊池:そうですよね。入学した頃にはGmailも使えず、キーボードも1本指で打っていた方がアプリを開発し、賞を獲得したので「希望の星や」と思いました。僕が62歳になるまでには、まだ20年以上もあります。彼を目標に、僕も頑張りたいですね。

 
Q
栗谷先生は、今後の目標はありますか?
A
栗谷:個人的な目標は、そんなにないんですよね。とはいえWeb領域で教員業をしているので、Webに関しては突き詰めていきたいです。そもそも僕が始めた20年前とは、Webも違うものになっています。当時Webと言えば、PCで情報を見るものでした。でも、今はそれだけではありません。例えば街なかの自動販売機で購入した商品も、Webでつながって管理されていますよね。では、自動販売機はWebなんでしょうか……という話になってきます。CGやアニメと比べてWebは定義がわかりにくいため、デジハリ大の新入生で最初からWebを志望する学生はほとんどいません。でも身の回りにあふれていて、とても面白いものなんですね。そういうことをきちんと伝えていきたい。そのためには、僕ももっと知見を増やさなければいけないなと思っています。年代を問わず、より多くの人にWebに興味を持ってもらい、わかりやすく伝えるにはどうすればいいか。リアルな授業、動画授業、ネット配信、書籍など方法はいろいろありますが、それらのスペシャリストになりたいですね。
Q
最後に、校友会についてアピールをお願いします。
A
栗谷:デジハリ大生、院生、スクールの本科生は自動的に校友会員になりますが、スタジオやオンラインの受講生は任意です。会費3万円を支払えば校友会員になりますが、現在それだけの価値を提供できているかと言われると疑問が残ります。そういった問題を解決するために、今新たな活動を始めようとしているんです。まだ会員ではない方も、この機会にぜひ参加してください!

インタビュー:野本由起

デジタルハリウッド専任講師/Webデザイナー
栗谷 幸助さん(デジタルハリウッド福岡校卒業)

大学卒業後、流通業を経てWeb業界へ。その後、デジタルハリウッドに入社し、スクール、大学、オンラインスクールで講師を務める。現在は故郷・福岡県に拠点を移して活動中。教育現場におけるICT機器の利活用を提案・実践する教育者チーム「iTeachers」の一員としても活躍している。

Webディレクター
菊池 大志さん(デジタルハリウッド大阪校卒業)

約10年の社内制作を経て、2014年からフリーランスのWebクリエイターに。現在は、Web制作会社「株式会社デジタルクリエーション」を運営している。また、関西のクリエイターとつながりを深める「KCA-関西クリエイター協会-」を発足し、共同代表を務めている。
株式会社デジタルクリエーションKCA-関西クリエイター協会

一覧へ戻る

←トップに戻る