No.99

メディアアーティスト
コニシマリさん
デジタルハリウッド大学大学院 2025年修了
ジーズアカデミー(現G’s(ジーズ)東京)2024年修了
私たちが生きていくうえで欠かせない生命の根源、空気。コニシマリさんは、目には見えない空気をカプセルに封じ、アートとして顕在化させる「空気彫刻」に取り組むメディアアーティストです。中でも「生と死」をテーマにした「空気彫刻」は、鑑賞者の心にさまざまな物語を呼び起こす彼女の代表作。この作品は、デジタルハリウッドのクリエイティブアワード「DIGITAL FRONTIER GRAND PRIX 2025」でグランプリを獲得しました。
長年にわたり電通のクリエイティブディレクターとして活躍していたコニシさんは、なぜメディアアートの世界に魅せられたのか。これまでとこれからについて伺いました。
(※このインタビューは2025年5月当時のものです)
電通を退職し、メディアアーティストの道へ
──コニシさんは、武蔵野美術大学を卒業後、2021年までクリエイティブディレクターとして電通に勤務されていたそうです。これまでのご経歴を教えてください。
私が就職したのは、社会の大きな転換期であった雇用機会均等法施行の2年目です。私は電通で初めての4年制美大卒の女性アートディレクターとして採用されました。その後、クリエイティブディレクターとして広告キャンペーンや商品開発に携わり、退社時には自分の部門を持つマネージャーの立場にありました。
大学時代はインスタレーションを制作していましたが、アート専業ではなかなか生計を立てられません。当初は、仕事をしながらアートを続けようと考えていましたが、実際には時間的にも精神的にも余裕がなく、いつしか制作から遠ざかることに。「また戻ってこよう」と思ってそこに置いておいたものの、取りに戻れないまま何十年も経ってしまいました。
──フリーランスとして独立されたきっかけを教えてください。
独立のきっかけは、コロナ禍です。社会全体が停滞するなかで、私の仕事は部下の体調管理や業務リスクの先回りといったマネジメント中心になり、創造的な業務が激減しました。その結果、今後の人生について冷静に見つめ直す時間ができました。
マネジメントにはやりがいもありましたが、同時に私は「自分の能力をもっと伸ばしたい」という強い気持ちも持っていました。立場と心の間にギャップが生じたとき、「自分がもっとワクワクする方向へ進もう」と決めて、電通を離れました。
──2022年には、同じく電通の清野晶子さんがきっかけでコニシさんもデジタルハリウッド大学大学院に入学されていますね。過去のインタビューでは「Facebookで清野さんの『デジタルハリウッド大学大学院を修了しました』という投稿が目に入り、『興味あるかも』とビビッと来た」とお話しされていました。
Facebookで見かけた清野晶子さんの笑顔が、弾けていて、ポジティブなエネルギーに満ちていたことに強く惹かれました。「ここには何かある」と直感的に感じたのだと思います。
それまで私は、クリエイティブディレクターとしてデジタル施策を扱ってはいたものの、実務は担当者任せで、自分の中に確かな自信があるとは言えませんでした。フリーランスとして活動していく上でも、デジタルの知見を深めることが新たなエンジンになると考え、大学院での学びに希望を抱きました。
具体的には、当初から「お弁当アプリを作ってみたい」「癒しを与えるロボットを開発したい」といった構想もあり、学びを実装に結びつけたいと考えていました。
「現実とは何か?」という問いが、創作の出発点
──デジタルハリウッド大学大学院では、どのようなテーマを研究されたのでしょうか。印象的に残っている授業があれば教えてください。
まず、藤井直敬教授の授業「先端科学原論」では、世の中を見る視点を教えていただきました。教授が投げかけた「現実とは何か?」という問いを出発点に、私が取り組むべきテーマが生まれました。
現実と向き合うことは、自分と向き合うことです。まずは自分のいる現実を定義するために、常に自分が現実だと思っている感覚を疑ってみる。そして科学的にバイアスを補正していく。このことに真剣に向き合ったとき、当たり前すぎて見過ごしていた「空気」という存在に気づくことができました。
そこで修了課題では、見えない存在である「空気」に着目し、それをアートとして顕在化させることに取り組みました。空気は、人の意識や認識によって見えたり見えなかったりする興味深い存在です。その可変性、そして目に見えないがゆえの“儚さ”に惹かれました。私は空気を密閉カプセルに封じ込め、その土地にまつわる物語や記憶を託して「空気彫刻」と名づけ、作品として表現しました。藤井教授の「現実科学ラボ」では年間2作品のプロトタイプ制作が目標で、常にアイデアを形にし続けました。
もうひとつ、表現手段において影響を受けたのが落合陽一教授の「メディアアート集中講義」です。私が美大に通っていた頃は、絵具や紙粘土などプリミティブな素材からアートを生み出していました。ですが、落合教授は気になる素材をフリマアプリで購入し、次々にプロトタイプを制作されるそう。これはと思った素材をすぐに入手し、そこに自分の手を加えてアートを生み出していく。その軽やかさに刺激され、創作活動に夢中になっていきました。
──大学院で最初に手掛けたのは、どんな作品でしたか?
体温と手相をビジュアライズするインスタレーションです。当時はコロナ禍で、どこへ行くにも体温を確認されました。そこで、手をかざすと体温がわかるキューブを購入し、計測した体温を色相に置き換え、同時に手相をスキャナで読み取り、ビジュアルとして表示するという作品を創りました。
──目に見えないものを顕在化するという点では、現在コニシさんが取り組んでいる空気をテーマにしたアートと地続きのように感じます。
確かにそうかもしれません。私が長年従事していた広告業界では、わかりやすさを重視します。8割の方がこう受け取るであろうというメッセージを用意し、その商品・サービスを好きになってもらう、手に取ってもらうのが広告の役割。そのため、電通ではマジョリティにとってわかりやすいものを作り続けてきたのです。こうした業界ではできなかった表現として、目に見えないもの、わかりにくいもの、儚く消えるもの、あるかないかわからないものに興味を惹かれたのかもしれないですね。
大学院での学びにより、メディアアーティストとしての生き方を再定義
──大学院と並行して、ジーズアカデミーにも入学されたそうです。その理由、アートにおけるエンジニアリングの重要性について、ご意見をお聞かせください。
ジーズアカデミーに入学したのは、大学院入学当初から掲げていた「アプリを自分で作れるようになりたい」という目標を実現するためです。実際、JavaScriptの課題ではお弁当アプリのプロトタイプも制作しました。
もうひとつの目的は、アート作品にインタラクティブな要素を組み込みたかったからです。人の動きを感知して作品が反応するような仕組みを取り入れたくて、プログラミングを学ぼうと思いました。
私が考えるアートにおけるエンジニアリングの役割は、主にふたつ。ひとつは「見えない感覚や感情を見える化すること」、もうひとつは「鑑賞者とのインタラクションを通して、作品をより深く体験してもらうこと」です。
私が作る空気を題材にしたインスタレーション「空気彫刻」においても、エンジニアリングは不可欠です。たとえば、静止したカプセルが人感センサーによって動く仕掛けを導入しました。鑑賞者の存在が作品に影響を与え、その場の体験を驚きとともに共有します。関心の導入装置として機能しています。
──大学院、ジーズアカデミーでの学びは、現在の活動にどのように生かされていますか?
デジタルハリウッド大学大学院で学び始め、「私にしかできない生き方とは?」「私が心からワクワクしながら社会に貢献できる方法とは?」を問い続けた末に、私はアートの道へ戻るという選択に至りました。
メディアアーティストとして生きると決めた私にとって、大学院やジーズアカデミーでの学びは、「ほぼすべて」と言えるほど大きな意味を持っています。単なる技術習得にとどまらず、これからの生き方を再定義する時間だったと思います。社会人になってもう一度「Why me?」「どう生きるか?」を問いただし、人生を棚卸した感じです。
生と死の空気が交差する「空気彫刻」が生まれるまで
──コニシさんは、先ほどお話があったように「空気」をテーマにしたアートを創り続けています。これまでどんな作品を作ってきましたか?
大学院初年度に作ったのが、カフェフラペチーノをイメージした空気の容れ物です。ストローを刺して中の空気を吸えるようにし、空気を採取した場所の雑踏の音が聴けるようQRコードをつけ、その場所の写真をコースターにしました。
空気をカフェフラペチーノのような容器に封じ込めた初期作品
また、ジーズアカデミーに通い始めた頃は、空気そのものをどう扱うかということより、空気をセンシングする、CGで空気のありようを描くといったデジタル寄りの発想で創作を行っていました。
こうした試行錯誤の末、2024年からPVC(ポリ塩化ビニル)の球体に空気を入れた「空気彫刻」に取り組むようになりました。初めての代官山ヒルサイドスタジオでの個展を経て、挑戦的に制作したのは、ニューヨークのセントラルパークでの「空気彫刻」です。現地で空気を採取し、その様子を動画で配信。そして、私の身長と同じ高さのタンクを用意し、足の位置には足元で取った空気のカプセルを、頭の位置には頭の高さで取った空気のカプセルを移設しました。つまり「これが私です。私がニューヨークに来た証です」という、空気を使ったセルフポートレート。この作品をチェルシーのギャラリーに展示しました。
空気を用いたセルフポートレート(画像提供:コニシマリさん)
この作品を藤井教授にお見せしたところ、「動きが欲しいよね」という話になり、タンクに送風機を取り付けてカプセルを動かすことに。2種類以上の空気のカプセルが入り混ざることで、その関係性を表現できるようになりました。
──空気の関係性とは?
例えば国境のあちら側とこちら側、スラムと富裕層の街、プロダクトが生まれる工場とゴミ処理場など、2ヵ所の空気を対比させることで世の中が見えてくるのではないかと思いました。
私にはことさらにポリティカルなメッセージを伝えたいという思いはありません。それでも、今こうして幸せに暮らしていることへの感謝、苦境にある方への祈りは常に持っています。生と死、命のように私が日々向き合っている思いを込めたほうが、作品に自分らしさが滲み出るのではないかと思いました。
天秤を使った「空気彫刻」(画像提供:コニシマリさん)
──2025年4月、コニシさんは『空気彫刻「Living Between Two Ends~生を生きる 死を生きる~」』で「DIGITAL FRONTIER GRAND PRIX 2025」クリエイティブアワード のグランプリを受賞しました。この作品に込めた思い、創作の背景をお聞かせください。
この時のテーマは「生と死」でした。「空気彫刻」を通じて感受性を持って世の中を見つめてもらうことは、人々のイマジネーションを広げ、他者への優しい眼差しを生むことにつながると感じています。多様性への理解を促し、国や文化を超えた相互理解の一助になればという願いが込められています。
『空気彫刻「Living Between Two Ends~生を生きる 死を生きる~」』(画像提供:コニシマリさん)
この作品では、神奈川県立子ども医療センターの分娩室、葬儀場の空気を取らせていただきました。「生と死」というテーマを決めた当初、私は生=喜ばしいこと、死=悲しいことだと思いこんでいました。ですが、神奈川県立子ども医療センターでは、友人である新生児担当の医師から、「生まれてすぐに亡くなる命もある。何度も手術を繰り返さなければならず、生きることが試練でしかない命もある」というお話をうかがいました。また、葬儀場を訪れた際には、そこがただ悲しみに暮れるだけの場所ではなく、生をまっとうした安堵感が漂う場であり、親しかった人たちが故人をしのぶ再会の場でもあると感じました。幸せ/不幸せという二元論ではなく、生命そのものについて深く考える作品になっていったのです。
──そのメッセージが伝わったからこその受賞ではないかと思います。
「DIGITAL FRONTIER GRAND PRIX 2025」が開催される前、2024年に国際公募展「躍動する現代作家展」に作品を出展し、最優秀賞と来場者人気投票1位賞をいただきました。
その時に実感したのは、人に作品を見ていただき、対話することの大切さです。展覧会で、私の作品をずっとご覧になっている方に話しかけたところ、お父様を2週間前に亡くされたとのこと。お話をしながらボロボロと涙を流しながら、「ふわっと舞い上がる生と死の空気を見ながら亡くなった父の魂はどこに行っただろうと思いました」と語っていました。その方は仏壇を処分されたそうで、「空気彫刻」をご覧になりながら「こんな仏壇があればいいのに」とお話されていたのも印象的でした。
また、イタリア人の男性とは、亡くなったお姉さんについてお話をしました。話をしながら彼が号泣し、私は背中をさすりながら話を伺うことに。私の作品を通して、ご覧になった方それぞれが抱える悩み、切実な思いが引き出され、作品を創ったことの意味ややりがい、手ごたえを感じました。
──「DIGITAL FRONTIER GRAND PRIX 2025」でアートが受賞するのは初めてのことだそうです。
みんながデジタルを使いこなせるようになり、デジタルが関与できるワールドが広がったのでしょうね。かつてはデジタルでどんなサービスやプロダクトを生み出すのかという発想でしたが、そこにアートも含まれるようになったのだと思います。今後、どのような作品が生まれるのか楽しみです。
「DIGITAL FRONTIER GRAND PRIX 2025」授賞式(画像提供:デジタルハリウッド株式会社)
国境を越えて、「空気彫刻」に託された物語を届けたい
──長年クライアントワークに従事してきたコニシさんですが、アートの創作にはどのような楽しさを感じていますか?
制作をしているときは時間を忘れて夢中になる。人生という時間は限られているのに、時間を忘れていられるなんて、こんな幸せで贅沢なことはありません。クライアントワークでは、基本的には企業の課題に応えるために創造しますが、今のアート活動では、社会全体や未来を少しでも豊かにするために時間を使っている実感があります。それが今の自分にとって、いちばん楽しいことのひとつです。
──創作のインスピレーションはどのような時に湧いてきますか?
インスタグラムで美しい風景やアート作品を眺めているときに、ふとアイデアが浮かぶことがあります。面白いところでは、類語辞典(角川書店)をめくると文字からインスパイアされたアイデアが湧くことがあります。
──今、一番楽しいこと、やりがいを感じる瞬間を教えてください。
新しい土地へ出向き、そこで「空気彫刻」を制作している時です。トラブルやアクシデントでうんざりすることもありますが、不思議とそれを解決する方法が思い浮かんでワクワクしてきますし、実現した時に達成感があります。
──今後の活動予定や目標をお聞かせください。
今後は、国内外の公募展に積極的にエントリーして、作品を発表する場を少しでも増やしていきたいと思っています。
4月に参加した「ワールドアートドバイ」では、文化の異なる方々が作品にどんな反応を示すのかを間近で見ることができ、とても意味深い体験でした。ドバイは今、オイルマネーで潤っており、活気に満ち溢れています。異文化に触れたい、理解したいという機運の高まりも感じました。
「ワールドアート ドバイ」での作品展示(画像提供:コニシマリさん)
ですが、この展覧会で私の作品をもっとも心から味わってくださったのはロシアの女性でした。この時も「生と死」をテーマにしましたが、すべての空気のカプセルを持っていくのが難しく、生と死で10ずつ、あとの空気はドバイやアブダビのモスクなどで採取しました。ロシアの女性に作品の説明をしたところ、「パッと見は楽しい作品ですが、お話を聞くと印象が違いますね」とおっしゃっていました。実はその方はジャーナリストで、記事では「泣きたくなるようなものであった」と書いてくださいました。今まさに戦争状態を作り出しているロシアは、日々生と死に向き合わざるを得ない状況にあります。ひょっとすると日本人にはない死生観があるのではないかと思いました。うきうきしたムードが漂うドバイにいながらも、私の作品を見て涙が出るようだと感じる人がいる。その多様性を感じ、海外でインスタレーションを展示した意味を感じました。
これからも作品を見ていただく場を増やし、国境を越えて、多様な人々に「空気彫刻」に託された物語を読みといてほしいと願っています。
コニシマリさんさんが学んだ校舎はこちら
デジタルハリウッド大学大学院
G’s東京
メディアアーティスト
コニシマリさん
武蔵野美術大学卒業後、2021年12月末まで株式会社電通で部長・クリエイティブディレクターとして広告コミュニケーションキャンペーン・商品開発・ブランド開発を手掛ける。国内では、朝日広告賞優秀賞、日経広告賞部門賞、雑誌広告賞金、フジサンケイ広告大賞金賞 日本雑誌広告賞ほか、海外ではカンヌ国際コンクールプレス部門ブロンズ ニューヨークフェスティバルポスター部門ゴールド クレスタ賞ゴールド カンヌ国際コンクールゴールド D&AD yellow pencilほかを受賞。2024年、デジタルハリウッド大学大学院修了。分娩室と葬儀場で採取した空気のカプセルが、舞いながら交差するインスタレーション『空気彫刻「Living Between Two Ends~生を生きる 死を生きる~」』で「躍動する現代作家展」最優秀賞、来場者人気投票1位賞、「DIGITAL FRONTIER GRAND PRIX 2025」クリエイティブアワード インタラクティブ部門 ベストアート賞を受賞