No.84
エムスリー株式会社
後藤 大輔さん
デジタルハリウッドU.S.A.校
(dhima通称ディーマ:Digital Hollywood Institute of Media Arts)CG映像専攻2001年修了
海外留学で映像の道を志す
──映像の仕事を目指した原点は?
父が映画好きで、よくレンタルビデオ店で映画を借りてきて自宅で観ていました。それを子どもの頃に一緒に観ていたのが映画との最初の接点で、以来、映画が大好きになり、中学、高校でもたくさん観ました。ただ、その頃は単なる趣味で、将来映画関係の仕事がしたいとまでは思いませんでした。
高校生になっても人生の目標や将来の夢がもてませんでした。卒業間近になっても進路をなかなか決められなかったので、父に相談をしたら「大輔に日本は合わないのではないか?海外に出たらどうか?」と言われたんです。僕も将来やりたいことがないのならそれもいいかなと思って海外に行きたいと言ったら、「今のままじゃダメだ」というまさかの回答。海外に行けと言ったのは父なのにどういうことだと思ったら、「きちんと納得できるような理由を持ってきなさい」と言ったんです。僕は今まで目標もなく人生を過ごしてきたから、何かに本気で挑めという意味でそう言ったのだと思います。
それで海外留学の目標と目的を捻り出そうとしていた時、公開直前だった『ラッシュアワー』という映画にまつわるこんな話を聞きました。ジャッキー・チェンの共演者のクリス・タッカーの喋りが早すぎて、セリフを全部字幕にしようとすると画面が字幕で埋まってしまうから、字幕をかなり端折らざるをえない。それによってストーリーも本来とは違ったものになってしまうと。
そうだとしたら、今までずっと愛してきた海外の映画を、制作者の意図通りにちゃんと理解できていなかったんじゃないか?と気づいたんです。それを正しく理解するためにネイティブレベルの英語力を身に着けることを留学の目標にしようと決めました。父親にそのようにプレゼンしたところ了承を得て、高校卒業後、ニュージーランドに語学留学したんです。
その留学先で一番最初に見たのが『スター・ウォーズ』と『マトリックス』でした。その時、3DCGの劇的な進化に『ターミネーター2』以来の大きな衝撃を受け、時代が変わる感覚を味わいました。もうすぐ3DCG全盛の時代が来るから、今から3DCGを勉強すれば、映画制作に関われて、映画監督にもなれるかもしれないと。そう考えて、1年間の留学を終えて帰国し、すぐまたアメリカに渡ってdhimaに入学したんです。
「学ぶなら本場で」とdhimaに
──3DCGを学ぶ場として、なぜdhimaを選んだのですか?
理由は2つあります。1つは「3DCGを勉強するならやっぱ本場のアメリカでしょ」という単純な発想です(笑)。
もう一つは、1年間のニュージーランドの語学留学で、英語でのコミュニケーションの魅力に取り憑かれてしまったこと。英語圏の人たち、特にヨーロッパから来る見ず知らずの多くのバックパッカーたちと英語というツールを介して交流できることがめちゃくちゃ楽しくて、ずっと続けたいと思ったんです。
だからdhimaに入学すると決めた時は不安や葛藤はゼロで、映画監督になれるというワクワク感しかなかったですね。
自分なりの勝ちパターンを掴む
──dhimaで学んでみていかがでしたか?
dhimaでの1年間はものすごく楽しかったのですが、最大の収穫は自分の人生において非常に重要なことを確立できたことですね。
──具体的にはどういうことですか?
ある日、ダイナミクスの授業の途中で担当の先生が急用で帰ってしまったことがありました。その時、クラスの生徒が2種類に分かれました。1つは、その状況に対してただただ文句を言うタイプ、もう1つは、自分たちでなんとかしようとするタイプです。
僕は後者で、当時dhimaには先生以外にもわからないことを教えてくれるティーチングアシスタントという素晴らしい方々がいたので、彼らにダイナミクスのことを聞いたり、自らいろいろな実験したりと、状況を自ら改善しました。つまり、教えてもらえないなら自分で学ぼうという姿勢が身についたんです。
このように、状況のせいにせず、自主的に一生懸命努力したら、中間制作でグランプリを取れました。この成功体験によって、自分なりの勝ちパターンを確立できたことはその後の人生でも大いに役に立っています。
独学で習得した2Dの編集スキルで未来を切り開く
──dhimaではどのようなことを学んだのですか?
3DCGはモデリングから始めて、ライティング、シェーディングなどを学んで、全部面白いと思いました。ただ、なぜかアニメーションだけは興味が持てませんでした。でもある時、グループワークでアニメーションのディレクションをやった時、言葉で伝えることがうまくできずに、直接アニメーションを作ってみたところアニメーター志望の学生より僕の方がうまくできたんです。その時、興味はないけど向いているんだなと思いました。
あとは2Dの編集技術も独学で学びました。当時、インフェルノアーティストを目指していたので、2D編集ソフトのcombustionを独学で勉強しました。その流れでAfter Effectsも勉強したのですが、After Effectsの方が好きになっちゃって(笑)。一旦3DCGを忘れた時期がありました。これがのちに僕の進む道に大きな影響を与えることになるのですが、この時はそんなことは思いもしませんでした。
──具体的に教えて下さい。
2D編集スキルを独学で習得したおかげで、在学中からたくさんの企業からインターンの誘いがたくさん来て、4~5社で経験しました。その中の1社のプロデューサーの紹介で、LOGANというモーショングラフィックススタジオに入りました。
それまでの3DCGにはオタク気質な人たちがひたすらコツコツ作っているという暗いイメージがつきまとっていたので、モーショングラフィックスのようなスタイリッシュなものを作ることができればモテると思い、モーショングラフィックスデザイナーを目指すことにしたんです。
初めてのモーショングラフィックスが高く評価される
──LOGANではどんな仕事をしていたのですか?
最初は主にAfter Effectsを使って実写映像をトレースして切り抜くロトスコープという仕事で、寿司屋に例えたら皿洗いのような基礎的な作業をやっていました。
そんなある日、社員から「Microsoftの仕事でアニメーターの欠員が出たから1シーン作ってみる?」と言われました。今考えたらモーショングラフィックス制作をやったことがないのに無茶ぶりもいいところなんですが、使うのが同じソフトウェアだからできるでしょっていう、軽いノリで「オッケー」と答えました。
──とはいえ初めての作業ですが、実際にやってみてどうでしたか?
うまくできました。LOGANの社長からも高く評価されて、「モーショングラフィックスができるならロトスコープなんかやっている場合じゃない」と言われて、アニメーターに転向しました。
鍛えられて大きく成長
──LOGANで働いてみてどうでしたか?
楽しいとかつらいなど、全ての感情が入り交じる日々でした。アメリカ人ってみんな家族やプライベートを大事にするから仕事を5時に終えて帰宅するというイメージがあるじゃないですか。ところが、LOGANの社員たちは全然帰らないんですよ。当時は忙しすぎて毎日14時間ぐらい働いていました。土日もなしです。
シニアになると、ディレクションもしなければなりません。チームメンバーにリテイクの指示もしなければならないし、自分自身も大量の仕事を抱えていたのですごくキツかったですね。
──それほどキツかったなら辞めたいと思ったことはないですか?
一切ないですね。担当した作品は全部世界で大きな話題になるので、そのたびに興奮するし、すごく楽しかったです。
また、ビシバシ鍛えられた分、クリエイターとして成長しているという実感がもてたし、自信もつきましたから。さらに、LOGANで大きな責任を担っている感覚や、クリエイティブの新しい文化を作っているという実感もありました。他の会社に移ったらクリエイターとしてのレベルが下がってしまうと思っていたので、一瞬でも辞めたいと思ったことはないですね。むしろLOGANにはものすごく感謝しています。
──後藤さんが感じたアニメーションの一番の面白さや魅力は?
ありきたりですが、命のないものに命を吹き込むということでしょうか。登場するキャラクターが持つ呼吸みたいなものを感覚的に設定することに魅力を感じていました。
世界中のクリエイターが注目するデジタルフィルムの祭典のOP映像を任される
──当時一番印象に残っている仕事は?
ダントツ1位は“onedotzero festival”のオープニング映像を任されたことですね。onedotzero festivalとは世界中から約2,000作品の応募が殺到するロンドン発のデジタルフィルムフェスティバルで、これに自分の作品を出展することが夢だったんです。LOGANにいたらいつか叶うと思っていたのですが、社長から「オープニング映像を作らないか?」と言われて。もちろん自分が叶えたかった夢を超えるオファーだったので、やります!と即答しました。
でもその話を聞いたのが開催日直前で、制作猶予は1週間しかなかったんですよ。社長からラフデザインを渡されて、あとは自分の発想でなんとか作ってくれと。かなり実験的なデザインだったので、これに命を吹き込むためには僕自身がすごく実験的な発想をしなきゃいけないと思って、セオリーを全部無視した実験的なオープニング映像を作りました。時間的にはキツかったのですが、アイデアはいくらでも湧いてきたので、作っていて楽しかったですね。
完成した時は、知識やスキル、情念などその時の自分のもてる全てを注ぎ込んだという達成感がありました。いまだにその時の気持ちを超えた仕事はないですね。
重要なのは面白いか否か
──日本に帰国後はどのような仕事を?
東京の有名な映像制会社から声がかかったのですが、東京に行くのが怖くて辞退しました。それで地元の大分に帰ってフリーランスのアニメーターとして活動しました。
その後、2007年にIT企業に就職して、3年ほどデザイン部長としてプロダクトのプロモーション映像やイベント映像の企画、制作やモックアップなど、デザインに関わる業務を統括しました。
──携わる仕事がエンタメからビジネスへと大きく変わっていますが、抵抗感はなかったですか?
全くなかったですね。僕にとって一番大事なのはその仕事が面白そうかどうかなので。これは今でも同じです。
このIT企業での仕事もとても面白かったですよ。未経験の分野なのでわからないこともあったのですが、僕が統括するデザイン部の中にウェブ系、印刷系、CG系、写真家、ビデオグラファーなど様々な職種の人がいたので、教えてもらっていました。
彼らのおかげで新しい知識やスキルが身につけられたし、この会社でなければできなかった仕事も経験できたので、入社してよかったです。
友人の死で再び夢に挑む
3年ほど経って、この会社で経験できる仕事はやり尽くしたと思ったので、そろそろ違う仕事をしたいと考え始めました。ちょうどその時、僕の人生を大きく変える転機が訪れたんです。
dhima時代に卒業制作を一緒にやってそのままアメリカに残って仕事をしていた友人から、今度帰国するから一緒に食事をしようという連絡が来ました。実は彼はアメリカでコンポジターとして数々のメジャーな映画に携わっていたのですが、学生の頃からモーショングラフィックスの道に進みたかったんです。僕はコンポジターとして映画制作に関わりたかったのですが、モーショングラフィックスを専門とするクリエイターになりました。つまり2人、見事に真逆の仕事をしていて、お互いがお互いを羨むという状態になっていたんです。
その彼が突然倒れて入院したんです。診断結果は血液がん。「自分は必ず戻ってくるから、待っていてくれ。東京で一緒に一旗上げよう」というメッセージを病院から送ってくれて。しかし、闘病の末、東日本大震災の翌日に亡くなってしまい、その夢は果たせませんでした。
この友人の死はすごく悲しくてショックでしたが、同時に人はいつ死ぬかわからないのだから、dhimaに入る時に抱いた、映画制作に携わりたいという最初の夢を叶えたいと思ったんです。
夢を追って再びアメリカへ
そんなある日、LOGANから「ニューヨークにオフィスを作るから戻ってこないか」と声がかかりました。ものすごく行きたかったのですが、当時はちょうど第一子が生まれた頃で、子どもがあまりにも可愛すぎて離れられず、泣く泣く断りました。
それから3年後の2015年に再びLOGANから誘いを受けました。実はその時も第二子が生まれそうなタイミングだったんです。めちゃめちゃ悩んだのですが、今回の誘いを逃したら二度とアメリカで働けるチャンスはないかもしれない!と思い、受けることにしました。
アメリカに渡りたいと思った理由はもう1つあって、妻や子どもたちにも、僕が青春時代を楽しく過ごしたアメリカで暮らし、楽しむという同じ経験をしてほしかったんです。
それで2016年2月に妻と3歳と生後4ヶ月の子どもと一緒にもう一度アメリカに渡ったんです。
──2度目のLOGANではどんな仕事に携わったのですか?
アメリカに着いた最初の週末に、ハリウッドのトップスターが集まるオスカーの前夜祭で流す映像のプロジェクトに参加したんです。映画制作の仕事ではないですが、いきなり映画業界のど真ん中に行けたので、夢に半分近づいたぞと思いましたね(笑)。
出戻った後もAppleのCMの仕事が多かったのですが、Appleからよくご指名いただいていました。制作スタイルも、直接担当者と話し合いながら作るという、より緊密な関係性になりました。なので、1回目のLOGANよりも楽しかったし、やりがいもありましたね。
ついにチャンス到来
その他、MicrosoftやGoogleなどのCMにも携わりながら映画の仕事を待っていたところ、2018年にそのチャンスがやってきました。
Marvel Studiosが制作していた映画『アントマン&ワスプ』の公開直前に、シーンを追加することになりました。それを2週間ほどで仕上げてくれる会社を探していたところ、白羽の矢が立ったのがLOGANだったんです。
でも、その時僕らはAppleの仕事でめちゃくちゃ忙しい時期だったんですよ。 にも関わらず、ミーティングで「Marvelからこんな仕事が来たけどどうする?」と聞かれた時、迷いなく「やります!」と手を挙げました。10代の頃からの夢である映画制作に携われるチャンスがようやく到来したわけですからね。他にもやりたいと前のめりで手を挙げたクリエイターが何人かいました。
それから2週間、昼間は AppleのCM制作の仕事、夜からMarvelのアントマンの仕事を20人ぐらいのチームでやったんです。
そして無事納期までに担当カットを完成させ、映画の最後に流れるエンドロールにも名前を載せてもらいました。
夢を叶えるも…
──この時の気持ちは?
うれしかったですね。また、映画のプレミア上映会にも招待されて、当時まだ小さかった娘を連れてレッドカーペット歩いたのは最高の思い出です。
ただ、映画の仕事はもうやらなくていいかなと思いました。
長年の夢が叶ったというのになぜですか?
確かにやっと夢が叶ったとか、一生の思い出となる素晴らしい体験をさせてもらったとは思いました。ただ、同時に寂しいとも感じました。たぶん、この先映画の仕事をしても、今回を超える感動は得られないと思ったんです。
それと、終わってみれば、あれだけやりたいと願っていた映画の仕事もAppleの仕事と大して変わらないとも感じました。それで今後も映画制作に関わりたいとは思わなかったんです。
これまでとは全く違う道へ
──ではその後はまたCMの仕事がメインに?
健康診断の結果がよくなくて、それほど長く生きられないかもしれないと思いました。ならばこれから先、残り少ない人生を同じことをやり続けるのに費やしていいのかと。もっと家族にしっかりと残せる功績はないか?と考えました。
いろいろと考えた結果、GoogleのUXモーションデザイナーを目指すことにしました。
Googleに内定するも白紙に
──なぜGoogleだったのですか
これまでフリーランスと中小規模の制作会社は経験したことがあるけど、大企業で働いたことがなかったからです。
でもGoogleにツテがなかったので、周りに「GoogleでUXモーションデザインをやりたいから、何かあったら教えて」と言いまくりました。するとLOGANの仲間の一人がGoogleに転職したので、彼に頼み込んでGoogleの採用試験を受けられることになり、何回かの面接を経て合格、Googleに入社できることになったんです。でも、いけなくなっちゃいました。
──なぜですか?
当時アメリカでは外国人に対するビザの発行が厳しくなっていて、ビザのトランスファーができなかったんです。
──せっかく難関中の難関のGoogleに合格したのにショックで悲しいですね。
いや、僕はそんなに悲しくはなかったんですよ。むしろ家族の方が悲しんでいました。Googleに受かるために1年以上ものすごく頑張ったのにって。確かにそうなんですが、僕としては結果はどうあれ、このチャレンジ自体がものすごくいい経験だったなと思っていたので。
帰国を決断するも転職に苦戦
──それからどうしたのですか?
その時はUXモーションデザインの仕事をすると決めていたので、アメリカで無理なら日本に帰国するしかないと思い、日本で転職先を探しました。
──どのような視点で探したのですか?
制作予算が潤沢にあって、クリエイターとしていいものを作ることだけに集中できて、正当な報酬を得られること。なおかつ、これまでの国内外での長年の経験で身につけた様々な知識やスキルで事業に貢献できる業界という視点で探しました。
その時医療業界に興味をもちました。
社会をよりよくするために医療業界へキャリアチェンジ
「医療 デザイン」というキーワードで求人を検索してみました。その時一番目に出てきたのが、医療従事者向けのプラットフォームとして、50以上の事業を展開していたエムスリーでした。早速応募して面接を受けた時、社内に動画を作れる人材が一人もいなかったことや、規模が大きい会社なのに広報・宣伝活動をあまりしていなかったことを知って、僕にやれることがたくさんあると思いました。
また、CDOの古結さんの「この先数年でエムスリーをグローバルブランドとして確立したい」という目標を聞いて、面白そうだと思うと同時に、この目標達成のために僕がこれまで培ってきたスキルで貢献したいと思いました。
動画にまつわるすべての業務を担当
──入社以降はどのような仕事をしているのですか?
デザイングループ所属のデザイナーとして、あらゆる部署の採用や、サービス紹介、導入事例など様々な動画コンテンツを企画から制作まで全て、今では広報チームや株主総会で流す映像の制作もしています。流れとしては、事業側へのヒアリングによって抱えている問題を把握するところから始まって、その解決法の提案、企画立案、打ち合わせ、撮影、編集、ナレーションまで、動画にまつわるすべての業務を担当しています。
──これまでの映像業界とはと全く違う医療業界の会社に入社したわけですが、働く上で戸惑いは感じませんでしたか?
しいていえば、この映像にまつわること全てを自分でやるという点ですね。社内に映像系の社員が僕と24年の9月に入社したばかりのメンバーしかいないので。エムスリーに入社するまでは、社内や外注スタッフなどいろいろな専門職の人たちと協力しながら、一つの作品を作るというやり方だったので、最初はその点に少し戸惑いを覚えました。
ただ、これまでやってこなかったことを仕事として一つ一つ習得できるので、新しいスキルがついていく感覚はとても有意義なものですね。
1年間で1億円の利益を生み出す
──入社後、後藤さんに与えられたミッションは?
入社して最初の目標が「映像で1年で1億円相当の利益を上げる」だったんですよ。最初は何をすれば1億になるのか?全くわかりませんでしたね。
ただ、1億の計算を初めからしようとしても意味はないので、とりあえず目の前の仕事をこなすことから始めました。
事業会社で得た最大の経験は動画の貢献利益の計算です。これは社会に対して、コンテンツがどのような経済効果を及ぼしたか?その何パーセントが自分の貢献なのか?という数字です。
これはつまり、自身がどれほど社会にとって価値のある人材か?を数値化できるということです。もちろん1年目の1億は達成しました。
現在は自分から新規企画を提案することを大切にしています。また、一つひとつの映像のクオリティを上げる作業に重点を置こうと考えているところです。
──実際にエムスリー株式会社で働いてみての率直な感想は?
エムスリーに入るまでの20年間経験してきた、映像やアニメーションを作るという限定された仕事ではなく、ビジネスの一部として自分の仕事で社会にいかに貢献できるかということを常に意識するようになりました。
例えば、今までならクリエイターとしてひたすらかっこいいものを作ることだけを考えていればよかったのですが、エムスリーに入社して事業側の視点で物事を考えられるようになったのがよかったと思います。
人々の健康に寄与できる
──入社前にもっていた、医療業界で身内に誇れる仕事がしたいという思いは実現していますか?
実現しています。ただ、「医療」というと、ほとんどの人は自分とは遠い世界のことだと感じると思うのですが、「健康」と言い換えれば皆さんが自分ごととして感じると思うんです。
僕の周りの人たちに何かあった時に治療知識を共有できることも、エムスリーに入ってよかったと思うことですね。
根拠のある自信をつけるべし!
──これまでの人生で困難や失敗があった場合はどのように乗り越えてきましたか?
そもそも、どんなことでも困難や失敗と捉えたことがないんですよね。むしろ困難や失敗を楽しんできたような気がします。よく「ピンチはチャンス」って言いますが、ピンチを体験するチャンスだと思っていて。
例えば転職活動でも失敗してもいいと思ってやっていました。ダメだったらやめればいいだけですから。これまで相当努力をしてきて、それだけ知識やスキルも身につけてきたから、他に僕を必要としてくれる人がいるだろうという自信もあります。
この自信、特に根拠のある自信をもつことがすごく重要で、その根拠を作れるのって自分自身だけなんですよね。だからその根拠を作るために頑張って自分を信じることができれば、どんな困難や失敗も、そのように感じることなく乗り越えられると思いますよ。
人生はエンタメだから最高!
──デジタルハリウッドの現在のスローガン「すべてをエンタテインメントにせよ!」をどう捉えていらっしゃいますか?
最高だと思います。だって、人生って楽しい方がいいに決まっているじゃないですか。楽しさに必要なのはエンタテインメントですよね。笑いあり、涙ありの激動の人生って、エンタテインメントそのものです。
僕の人生もエンタテインメントだと思っているし、僕の家族も、突然アメリカに住むぞと言われてアメリカに渡って5年暮らして、突然日本に帰るぞと言われて帰国するとか、僕に振り回されているけれど、それも楽しんでいると思うんですよ。
今も同じで、突然思い立って家族に「今から◯◯に行くぞ!」と言って旅行に出かけているんですが、そうやって家族で人生を楽しむこともエンタテインメントなので、「すべてをエンタテインメントにせよ!」はデジタルハリウッドらしい最高のスローガンだと思います。
映像の未来は明るい!
──最後に在校生へのメッセージをお願いします。
映像業界の未来は暗いと思っている学生さんは意外と多いのではないでしょうか。というのは、iPhoneなどの超高性能のスマホやカメラが普及して、誰でも簡単にすごい映像が撮れる世の中になったことで、レベルの高い映像を追求するプロクリエイターに対する価値が下がっているんじゃないかと感じている人が多いと思うんです。
しかし、レベルの高い映像を制作できるクリエイターは映像以外の業界ではかなり重宝されると思うんですよ。実際に僕がエムスリーに入って思ったのが、映像は必要とされる場面で必要とされる形で生み出せれば、これまでみんなが想像しなかった活用方法を見出だせるということです。つまり、社会の中に映像を活用ができるシーンはたくさんあるので、映像の未来は明るいんです。
そもそも今の時代、映像とはただ作品をつくることではなく、コミュニケーションのすごく重要なツールの一つです。だから、映像を志す学生さんはもっと自信をもって前に進んでほしいと思います。これまで映像業界でいろいろ経験を積んで、自分で映像を作れる技術は磨いてきたけれど、違うフィールドで新しい挑戦したいというクリエイターはぜひ一度、当社のカジュアル面談を受けていただきたいと思います。
エムスリー株式会社
カジュアル面談申し込みはこちら
https://jobs.m3.com/designer/casual-session/
エムスリー株式会社
後藤 大輔さん
1981年、大分県出身
高校卒業後、ニュージーランドで1年間の語学留学を経て、2000年、デジタルハリウッドU.S.A.校(dhima通称ディーマ:Digital Hollywood Institute of Media Arts) CG映像専攻に入学。アニメーターとしてApple iPodのシルエットCM、広告にアニメーターとして参加。2013年にはデジタルハリウッド福岡校で講師を務める。2016年、再びアメリカに渡りLOGAN社に入社。リードアニメーターとしてApple、Microsoft、Google、Snapchatなど世界的企業のCMや映像制作に携わる。2018年、Marvel Studiosの制作する映画『アントマン&ワスプ』(2018年公開)モーションデザイナーとして関わる。Apple TV+で配信されているドラマ『CALLS』(2021年公開)にアニメーターとして関わり、エミー賞・モーションデザインの部門を受賞。2021年9月、医療ベンチャー・エムスリー株式会社に入社。デザイングループ所属デザイナーとして部署を問わず、採用やサービス紹介、製品プロモーション、サービス導入事例などの様々な動画コンテンツを制作している。