Interviewインタビュー

No.107

公開日:2026/02/04 

好きなことを突き詰めると幸せな人生になる!

Webデザイナー講師起業家 デジタルハリウッド大阪本校

No.107

株式会社5DG 代表取締役
瀬口 理恵(せぐち りえ)さん
デジタルハリウッド大阪本校 2002年修了

経営者・デザイナー・ママの3足の草鞋

──現在の活動について教えてください。
主に2つあって、1つは株式会社5DGというWeb制作会社の経営です。とはいっても小さな会社で、社員は出産前はいたのですが、昨年の10月に産休に入るタイミングで、雇用ではなく外注パートナーという形にさせていただいたので、今は私一人です。なので、Webデザインだけではなく、経営関連の仕事や煩雑な事務作業まで全部私一人でこなさなければならないので、忙しいです。ちなみに子どもを産んだ翌日には病院のベッドの上で点滴を打ちながらノートパソコンを開いて仕事をしてました。帝王切開だったのでめっちゃ痛かったです(笑)。案件として多いのはビューティーサロンや女性向けアパレルブランドなど女性向けの店舗やECサイトのデザインですね。

2つ目は、デジタルハリウッド大阪本校の講師です。週に1回、火曜日の10時から14時まで、ママクラスを担当しています。教えている内容はWebデザインスキル全般で、まずはAdobeのIllustrator、PhotoshopやFigmaなどWebデザインに必要なツールの使い方を教えたり、課題の添削や寄せられる質問への対応などを行っています。デザインフェーズが終わると、次はコーディングフェーズに入って、HTMLやCSSなどのWebサイトを構築するためのマークアップを教えます。

子どもがまだ生後半年(取材当時)なので、仕事は1日6時間ほどにセーブしつつ、仕事と育児の両立を頑張っています。

インターネットとの運命の出会い

──現在に至るまでの経緯について教えてください。
私の人生を決定づけたのは中学3年生の時のパソコンの授業です。当時はWindows95の時代で、軽く文字を打ったり、インターネットで検索したりという遊びのような授業でした。その中で、インターネットでホームページを見た時に、これまで見たことのない世界にめっちゃ感動したんです。まさに運命の出会いでした。その日、早速家に帰って親にパソコンがほしいとねだったのですが、当時はまだかなり高価だったので、「公立高校に受かったら買ってあげる」と言われました。それからパソコンほしさに猛勉強を開始。何とか公立高校に受かって、約束通りパソコンを買ってもらえました。それ以降、学校にいる以外の時間は家でずっとパソコンを触る生活になりました。

高校時代はWindows98が出たばかりの頃で、一般家庭にインターネットが少しずつ普及している状況でした。なので、ネット回線もまだめっちゃ遅くて、夜11時から翌朝8時まで安い接続料でネットつなぎ放題というテレホーダイというサービスを毎晩利用して、ネットサーフィンをしたり、独学でホームページを作ったりしていました。毎日寝ないで朝までそんなことをやってたら、当たり前ですが学校に行けなくなるんですよね。高校は完全単位制だったので、単位が足りなくなりかけて、進級も毎年ギリギリでした(笑)。


ホームページを作るだけじゃなくて、「◯◯の部屋」みたいなチャットルーム、今でいうコミュニティにも入ってオフ会にも参加していました。例えば、私はガチの阪神タイガースファンだったので、阪神ファンのオフ会に参加したこともあって、めっちゃ楽しかったです。

高校生の普段の行動範囲って学校と近所、あとはせいぜい電車に乗って行ける街くらいじゃないですか。でもインターネットを使えば、普段の生活では絶対に会えない人たちと交流できるのがすごいと思ったんです。また、それくらい狭い行動範囲で動いていたら、私のことを知ってもらう機会ってないじゃないですか。今はSNSが発達しているので、個人で世界中に発信できて一般人でも有名人になれる時代ですが、当時はまだインターネットもやっと一般人が使うようになってきた頃で、自分のことを世界中に発信できることもすごいと感動して、インターネットにものすごい可能性を感じていたんです。

高校時代から夢はWebデザイナー

それで、自分のホームページを作ったり、好きだった芸能人やアイドルのホームページを見て情報収集したりしていたのですが、あまりにも楽しすぎたのでそれだけでは飽き足らず、将来はホームページを作る側になりたいと思ったんです。それと、幼い頃からもの作りが好きで、小学生時代から図工とか工作、美術の時間が大好きでした。高校生になって、絵を描く筆がパソコンに変わったって感じですね。なので、学校の友だちはみんな卒業したら大学に進学すると言っている中で、私はすでに将来はホームページを作る仕事をすると決めていました。

たまたまネットで知り合った大学生の友達と進路の話をしていた時、「将来、Webデザイナーになりたいなら、僕の通っているデジタルハリウッドで勉強したらいいと思うよ」と教えてもらったので、高校の制服で学校説明会に行ったんです。そしたらデジタルハリウッドのスタッフに「君みたいな子が来たのは初めてや」と驚かれました。デジタルハリウッドは学校法人の専門学校ではないので、高校を卒業してそのまま入学する生徒はまずいなくて、ほとんどが大学生や社会人でした。

その時、高校の勉強が嫌すぎて、すぐにでもデジタルハリウッドで勉強したかったので、「高校を辞めてデジタルハリウッドに入学していいですか?」とスタッフに言ったんですよ。そしたら、「頼むから高校だけは卒業してから来てくれ」と全力で止めてくれたので、卒業してからデジタルハリウッドに入ったんです。今は高校は卒業していて本当によかったと思うので、あの時止めてくれたスタッフさんに感謝しています。

高校卒業後、デジタルハリウッドへ

──デジタルハリウッドではどんなことを学んだのですか?
半年間のWebデザイナー専攻コースに入って、Webサイトを作るスキルを学びました。学んだことは今、まさに私がママさんコースで教えていることと同じで、Webサイト制作に必要なソフトの使い方やデザインやコーディングの仕方などです。当時はAdobeのデザイン系のソフトは高校生が買えるような値段ではなかったので、似たようなフリーソフトを使っていました。デジタルハリウッドでやっとプロ御用達の憧れのソフトが使えたのがすごくうれしくて、楽しかったです。

また、課題もたくさん出て、それをこなすうちにだんだんとWebデザインの実践的なスキルを身につけることができました。

──デジタルハリウッド時代の一番の思い出は?
卒業制作ですね。2ヶ月かけてじっくり1つの制作に取り組むので、学校に泊まり込んで集中して作りました。当時はいろいろな企業がお題を出してくれてたんですよ。その中から私はサンリオのWebサイトを作りました。当時はFlash全盛期で、Flashが好きすぎて、オールFlashで作りました(笑)。

──当時学んだことで今に生きていることは?
Webの世界は技術の進化のスピードがものすごく早いので、今使っているWebデザインの技術は、当時のデジタルハリウッドで学んだ技術とは全然違うんですが、基礎は同じですし、何より当時叩き込まれた制作に取り組む姿勢というかメンタル的な部分は今も仕事をする上でとても役に立っています。

実はこの当時から将来は独立しようと思っていたんです。その理由は母親がフリーランスのイラストレーターだったこと。私を産んだのを機に辞めちゃったみたいなんですけど、子どもの頃から、私を産むまでは1人でイラストを描く仕事をしていたというような話を聞かされていて、いいなと思ってたんですよね。あと、「手に職をつけておきなさい」とも言われていて。私自身、幼稚園の頃から協調性がなくて、みんなで一斉に同じことをやるのが苦手なんですよ。だから会社員はあまり向いてなさそうやなと自己分析していたところもあって。それで将来、いつかは自分で起業しようと考えていたんです。

まずはグラフィックデザイナーとしてデビュー

──デジタルハリウッド卒業後はどうしたのですか?
デジタルハリウッドは就職先も紹介してくれるのですが、当時大流行していたプリント倶楽部を作っていたメーカーを紹介してくれました。そのメーカーは、そもそも高校生の時にデジタルハリウッドを紹介してくれた友人が、デジタルハリウッドを卒業した後に入社した会社で、その友人の紹介もあって入社しました。

──どんな仕事をしていたのですか?
プリント倶楽部に入っているスタンプやフレームをデザインする仕事でした。なので、最初はWebではなくて、画像やパーツ制作が主な仕事だったんですよ。でもやはり私はWebデザインがやりたいと思い、半年ほどで辞職して、Webデザインの制作会社に転職しました。これでようやく高校生の頃からの夢だったWebデザインができると思ったのですが、入ってみたらコーディングがメインだったんですよ。しかもソフトは使わずにテキストエディターでひたすらコードを書く毎日で。おかげでコーディングは鍛えられたのですがさすがにつまらなくなって半年で辞めました。

その後は、ゲーム会社に転職してWebサイトの制作に携わったのですが、ブラックすぎてここも半年で退職。その直後、知り合いに「車関係の会社を起業するんだけど、Webサイトを作れる部署も立ち上げたいから手伝ってくれ」と頼まれたので、入社しました。仕事内容は、Web部署のリーダーだったのですが、いきなり全然知らない中古車屋さんに行って、「ホームページいりませんか?」と売り込んで、返答が「作ってほしい」なら、社長さんにどんなホームページがいいかヒアリングして制作するというものでした。なので、Webサイト制作だけじゃなくて飛び込み営業もやっていたんです。
門前払いの方が圧倒的に多かったのですが、成約していただいた中古車屋の社長さんとは仲良くなってかわいがってもらったので、楽しかったですよ。自分でも営業職は向いていると思いました。

また、デジタルハリウッド時代からいつかは独立したいと思っていたので、一から会社を立ち上げて運営するということを勉強しようという気持ちで働いていたのですが、1年で倒産しちゃったんです。メイン事業が車関係なので負債も多かったみたいで、倒産直前は私含め社員の給料も出なくなって。社長が追い詰められて、日増しに顔色も悪くなってボロボロになったんですよ。そういう過程を見て起業って怖いとは思いましたが、起業したいという気持ちが消えるほどではなかったですね。

初めての挫折

──次はどんな仕事を?
電気メーカーのデザイン部に入って、昔の携帯電話、いわゆるガラケーの画面やフォルダ、アンテナや電池などのアイコンのデザインをしていました。そのデザイン部は周りの社員が皆さん美大や芸大でデザインを本格的に学んだエリートのプロ集団でした。

そんな中で働いていると、私が今まで身につけてきたスキルや手掛けてきた仕事は全然大したことじゃなかったんやなと、自分が彼らよりすごく下に見えて自信をなくしてしまって、3ヶ月ほどで退職しました。

──辞めた後はどうしたのですか?
心が折れてしまっていたので、もうデザイン関係の仕事は嫌だと思って、派遣会社に登録して、スーパーのレジ打ち、品出しやひたすら領収書を入力する事務の日雇いバイトなどパートのおばちゃんたちに紛れてやったりしていました。

そうやってしばらくWebや作ることから離れていたのですが、次第に作りたい欲がむくむくと湧き上がってきて、自宅で趣味のサイトを作り始めました。その時、やっぱり私はWebや作ることが大好きなんやなと改めて思ったんです。それと、ニート生活というか気ままな日雇いバイト生活も4ヶ月もやるとさすがに飽きてきました。

それで次はゲーム会社に転職して、Webデザイナーとしてゲームの公式サイトを作る仕事を始めました。個人的にもその会社が出しているゲームが好きでよくプレイしていたので、仕事はすごく楽しかったです。ただ、その会社が好きすぎるがゆえに、次第に見えてきたネガな部分がどうしても気になっちゃって、8ヶ月弱で辞めました。

その後、何社かデザイン会社に勤めたあと、広告代理店に入社して、主に印刷物やWebサイトのディレクションを担当しました。なので、自分で手を動かして作ることはほぼなく、外注のデザイナーさんへの発注や修正指示などが主な仕事でした。

フリーターから脱却したあとの2社での仕事でやっぱり私は一番好きでやりたいのはWebの仕事なんやなということを再確認しました。

ついに念願の独立

この会社が最初に入った会社から数えてちょうど10社目だったんですよ。採用側から見たら、一つの会社で長続きしないジョブホッパーというマイナスイメージなんですが、逆に私としては10社もの会社でいろいろなことを経験したことがすごく自信になったんです。それでキリもいいし、2010年の4月に個人事業主として5DG-Five Dimension Graphics-を立ち上げたというわけです。

──屋号の由来は?
Dimensionとは次元という意味で、我々が生きている世界は3次元ですよね。4次元がタイムラインと言われていますが、5次元は説がないので、私とお客様で作るという思いを込めてFive Dimension Graphicsと名付けました。ちなみにこの屋号はデジタルハリウッド在学中に決めていたんです。

──仕事はどのように取ったんですか?
本当にゼロからのスタートだったので、まずはIT系のイベントや交流会に出まくって、そこで出会った人たちに名刺を配りまくりました。それを繰り返しているうちに仕事の依頼が増えていったのです。自分の事業のWebサイトからの問い合わせもあるのですが、ほとんどは直接お会いして繋がったご縁から仕事はいただいていますね。

テック系イベントの実行委員長として約1000人を動員

独立した翌年の2011年、人生の転機になる出来事がありました。きっかけは、取引先の一つだった会社がWordPressのイベントのスポンサーで、そのイベント用のチラシのデザインを請け負ったことです。いろいろ手違いがあって、そのチラシが宅急便で送るのではイベントスタート日に間に合わなくなったので、私が大阪から福岡のイベント会場までチラシを運んだんです。そこで初めてそのイベントを見たらめちゃ面白かったので、私もWordPressを触ったり、大阪のWordPressのコミュニティに参加し始めました。

でも当時、大阪のコミュニティがあまり活発じゃなかったんですよ。それで再始動させようと2012年、実行委員長としてWordPressのイベントを立ち上げて、いろんな人に声をかけたら1000人ほどの人が参加してくれました。その時に出会った大勢の人たちから仕事をいただいたおかげで事業が軌道に乗りました。さらに、出版社の編集者に本を書きませんかとお声がけいただいて、本も出版できたんです。

──仕事のやりがいはどういうところにありますか?
法人、個人問わず、お客さんから依頼されて作った制作物に対して「ありがとう」と感謝されることが一番のやりがいですね。また、外注のパートナーさんたちも長年の付き合いなので、みなまで言わずとも阿吽の呼吸でいい仕事をしてくれるのですごく助かってます。お客さんも外注さんとも仲がよくて、好きな人たちに囲まれてお仕事ができているので幸せです。

──大失敗した時や困難にぶち当たった時の乗り越え方は?
基本的に落ち込んでも一晩寝たら忘れるタイプの人間なので、あまり引きずらないんですよ。そもそも過去に起こったことってもう変えられないので、いつまでもくよくよ悔やんでいてもしょうがないですよね。それよりは今後、同じ過ちは絶対にやらないようにきっちり対策を講じる方が建設的です。

例えば、昔、お客さんからいただいたデザインのラフを失くしてしまってめちゃめちゃ怒られて、それ以降仕事をいただけなくなりました。
なので、もう同じミスは絶対にやらないようにしようと、お客さんから重要な物を預かったら、まず写真を撮るとかすぐコピーを取って、最悪、原本をなくしても大丈夫なようにしています。

頑張るママさんを支援したい

──今後の展望を教えてください。
まず、子どもを産んだ後も引き続きデザインの仕事は続けていきたいと思っています。特に女性向けのデザインやサービスなどを手掛けていると、ママさん向けのサイトが多いんですね。例えば、一時保育できるベビースペースのサイトを作った時も、ターゲットは30~40代のママさんだったのですが、出産前は年齢的には合っていたとしても子どもがいなかったので、ママさんの本当の気持ちはわかりませんでした。でも今はママになったので、お客さんに対してママ目線での提案やデザインができるので、しっかりやっていきたいと思っています。


また、冒頭で話した通り、デジタルハリウッドのママクラスの講師を担当しているのですが、生徒のママさんたちってすごいんですよ。朝早く起きて、朝ごはんを作って旦那さんと子どもに食べさせて、子どもを保育園に連れて行った後は家事や晩御飯の仕込みまでやってから、デジタルハリウッドに来てデザインの勉強。その帰りに買い物をして子どもの保育園のお迎えをして、家に帰ったら夕食を作って食べさせる、といったような、限られた時間をめちゃくちゃ有効活用して、集中して頑張ってるんです。そういうママさんを私なりに支援していきたいとめっちゃ思っています。

実際、自宅でも仕事ができるようにWebデザインのスキルを身に着けたいというママさんが多いのですが、デジタルハリウッドのママクラスに入れるような人はまだよくて、受講するだけのまとまった時間やお金がないという人も多いと思うんです。そんなママたちをうちの会社でサポートしたいと考えているんです。

──デジタルハリウッドのタグライン「みんなを生きるな、自分を生きよう。」をどう捉えていますか?
すごくいいコピーだと思います。周りに流されたり、周りと合わせることなく、自分のやりたいことを貫こうぜという意味が込められてると思うんですが、私自身がやりたいことしかやってこなかった人生なんですよね。なのでまさに私は私を生きていると胸を張って言えます。

仕事って人生の中でかなりの時間を占めるので、好きなことを仕事にするのは、もちろん嫌なことやしんどいことも多いのですが、それでも本当に素晴らしいことだと思いますよ。

私の場合は10代という早い段階でやりたいことに出会えて、それが今の仕事になっているという、かなり幸せなパターンだと思います。この生き方を選んで後悔したことなど一度もないし、今めっちゃ幸せなので、自分の「好き」を貫いてよかったなと思っています。なので、デジタルハリウッドで学んでいる人たちにも自信を持って自分を生きてくださいと言えますね。


──在校生へのメッセージ
デジタルハリウッドに通っている人たちは仕事や他の学業をもっている人がほとんどだと思います。デジタルハリウッドでは覚えなければならないことがものすごく多いから、時間がない中、すごく大変でしょうが、一番大切なのは作ることが楽しいと思う心だと思うんですね。

私も生徒だった時に、学ぶことや作ることが楽しいといつも感じていました。「好きこそものの上手なれ」のことわざ通り、やっていて楽しいことって自然と実力が伸びると思うんですよ。もしそう思えるのであれば、全力で打ち込んでほしいし、デジタルハリウッドの「自分を生きろ」というタグライン通り、好きなことに全力で打ち込んでほしいと思います。

瀬口 理恵さんが学んだ校舎はこちら
デジタルハリウッド大阪本校

株式会社5DG 代表取締役
瀬口 理恵(せぐち りえ)さん

1983年、大阪府出身。高校時代から独学で自身のWebサイトを作ったりオフ会に参加するなど、インターネットにどっぷりハマる。当時からWebデザイナーを夢見て卒業後、デジタルハリウッドに入学。半年間、Webデザインについて学ぶ。卒業後は約7年間、10社でWebデザイナー、ディレクターなどを経て、2010年に個人事業主として5DGを開業・独立。Webサイト制作やアプリUIデザインなどを手がける。2019年に法人化。2012年には「WordCamp Osaka 2012」を実行委員長として手がけ、1000人を動員。デジタルハリウッド大阪校でママさんクラスの講師も務める。2025年出産。現在は仕事と育児の両立に奮闘中。著書に『人を惹きつける美しいウェブサイトの作り方』(SBクリエイティブ)がある。デジタルハリウッド大阪校修了。

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