No.81
株式会社キャメル珈琲 グラフィックデザイナー
宇佐美 哲治(うさみ てつはる)さん
デジタルハリウッド大学 デジタルコミュニケーション学部 2009年卒業(1期生)
※当インタビューは、デジタルハリウッド大学キャリアセンター主催による「企業ゼミ」の中で、一般社団法人くくむ様のご指導により、在学生が卒業生を取材・制作した記事となっております。取材にあたっては、同法人が展開する目の前の語り手の言葉を「一人語り」の形式に仕上げる『聞き書き』の手法を、学生にレクチャーいただきました。
“非現実的”に見えた、映像を学べる大学へ
茨城の実家の町工場では、内職のおばちゃんたちと家族がみんないつも何かを作ってました。俺もそこに混ざって、何かしら作ることはちっちゃい頃からすごく好きでした。
趣味や好きなものっていったら、映画を観るか音楽を聴くか。
とくに映画が好きではあったけど、もっというと俺は「映画館」っていう存在の方がすごい好きで。ちっちゃい頃に初めて映画館に行って、ドアを開けたときに、ブワーっと音が鳴ってる時のゾッとした感じをすごく覚えてますね。昔は入れ替え制じゃなくて、ドアを開けた瞬間にもう映画がやってたんですよ。
当時はまだミニシアターが元気だったんですよ。東京でも小さな映画館に行っては、地方の映画館には置いてないチラシなんかを集めたりして。このデザインだせえな、これかっけえな、みたいなのをずっとやってました。
そういうのもあったから、大学では映像をやりたいって考えてたときに…実は学校の先生にもなりたくて。教育系の大学に行くか、映像系の大学に行くか天秤にかけてみたら、非現実的に見えたんですよ。映像の方が。だからそっちをやってみようと。
それで、高校の担任の先生がデジタルハリウッド大学のことを教えてくれたんですよ。最初は大学の名前に対して「なんだコレ?」って笑ってたんですけど、改めて調べていたら、本当に受けてみるのも面白いかもって思って、受験したんですよね。それで合格して、2005年に東京に来ました。
常に天邪鬼で、なんかこう…ゴールが見えると、そこに行きたくなくなっちゃう。受験もそういうふうに選んだところもありました。
新しい世界での挫折
周りの学生たちはほんとに変な人が多くて。新設校なのに選んで来る人って、やっぱちょっとネジ飛んでる人が多かったんですよ。
同級生に当然のように年上とかもいる中で、映像を作った経験もあって、常に作ってるっていうような人たちを目の当たりにしたら、「俺、今からこの人たちに追いつけるのかな?」って、早々に挫折をしました。 だから、最初に興味を持っていた映像の業界には、入り込むまでもなく早々に諦めちゃった。
中学や高校ではまだスマホもないし、家に1台インターネットができるパソコンがあるかないかって時代だったから、そういうのもなしに自分はいろんなことに詳しいっていう自負を若干持っていたけど、都会に出てきたら、そんなのは比べ物になんなくて。
知らない話しかしてない集団が周りにいるわけですよ。「あれいいよね」「これもいいよね」とか言ってるすべてが、自分にはわからない。 圧倒的に自分はちっぽけだなって。そこからはもう、「自分は何ができるんだろう?」っていう4年間だったかなと思いますね。
デザインを始めたきっかけと、圧倒的な人たちの中での葛藤
大学では映像の授業も受けつつ、興味本位でタイポグラフィの授業を受けたんですよ。当時は藤巻英司先生。それが難しいけど、すごく楽しくて。その延長でグラフィックデザインの授業を受けて、「デザインって自分にもできちゃうんだ」っていう、そこがデザインに進む大きなきっかけだったと思います。
グラフィックデザインの授業は、「発想は教えてやるけども、ツールや技術はいくらでも後で身につくから自分でやれ」って最初に宣言する先生だったんですよ。だから、みんな横並びでツールが使えなくて。ネットで調べれば出てくるんですよね。やり方なんて。だから友達に聞いたりとかしてやってるうちに、やり方は身についていきました。
自分は本当に絵が下手なんですよ。手が常にちょっと震えてたりもするので、直線も引けないし、デッサンの授業なんてやったこともないから、とにかく絵が描けない。そういう人でもデザインをなんとかやれたのは、やっぱりテクノロジーのメリットってでかかったなって思います。
時代的には『広告批評』とか、クリエイティブ系の雑誌とかそういうのも読んでいたかな。大人たちがかっこよく遊んでるさまを見てました。でも、そのトップのクリエイターたちを見ては「いやいや、ここには俺はいけねえな…」って思ってました。
常に自分が行こうとした先には圧倒的な人がいて、「俺もかっこいいことをやりたい。でもやれないなら、俺は何をやればいいんだ?やる意味あるのか?」みたいな、なんの実力もクソもないのに、そういう感覚ばっかり肥大化してて、それが映像でもデザインにおいてもそうで、ずっと頭でっかちになってたかもしれません。
留学先で「遊び」と出会い、仲間と真剣に遊んだ1年
デザインか映像か、選択肢はまだ渾然一体としてた途中で、3年次に留学をしました。カナダに行って、何してたんだろうってくらい、ただただ遊んでたんですよね。
同じ大学から行った人も何人かはいたけど、現地で会った人とつるむことの方が増えたりして。だから、周りのクリエイティブな人たちと競うことも何もなくなった時に、本当にのんびり過ごして、なんなら授業も途中から行かなくなり。
その時はなぜかフィルムカメラだけを持ち歩いて、学校に行ってるふりして週5でスナップ撮りながら町を散歩する、みたいなことしてたんですね。
(当時の宇佐美さんによるスナップ写真の一部)
途中でグラフィックの授業を一応受けたんだけど、周りの生徒たちは本当にやる気がなくて。その中で俺はIllustratorもPhotoshopも使えるし、どや!って課題を持って行ったら、先生から「君がやっていることは圧倒的にデザインをしているんだけど、硬いね」って言われて。
「友達といて楽しいときって、がんじがらめにスケジュール立てたりしないだろ。もっと遊んだら?」みたいなことを言われたのがすごい衝撃で、未だに覚えてて。そんな中で、日本に帰ってきた。
もう大学も4年次になっちゃってたんですけど、まだ映像も捨てきれないし、グラフィックも写真も楽しいし、だったらもういいやって、最後の1年はもう全部やってた。
友達がクラブのスタッフにいつの間にかなってて、それで友達とVJ(ビジュアルジョッキー、またはビデオジョッキー。クラブやライブ会場で音楽に合わせてビデオ映像等を流す役割。)をやったり、そのつながりでクラブのイベントでカメラマンやったり。あとはフリーペーパー作ってた友達から引き継いで、後輩とフリーペーパーを年に何回か作ったり。本当に真剣にいろいろ作った1年でしたね。
結果、就活もしませんでした。
卒業後、転々としつつも「やっぱやりたい」
大学を卒業する時、親友に「お前、カメラ好きだろ?じゃあやってみたら?」って言われて、親にも頭下げて、1年間思うがままにカメラだけでやってみたんですけど…もちろん、一銭にもならず。さすがにこれはあかんわって、フォトスタジオのメンテナンス業務みたいなとこから入ってみたんですけど、やっぱり主に清掃しかできなかったんですよね。そうこうしてるうちに、どんどん興味が薄れちゃって。
そんなときに、デジタルハリウッドのスタッフの方から声がかかって、 大学の運営事務の手伝いをさせていただけることになりました。他の部署からも声がかかってきて、イベントのセッティングからディレクションからみたいな事業や、スクールの運営のお手伝いをさせてもらったりとかもしました。
でも学生たちを見てると、やっぱり作りたくなっちゃうんですよね。昔の自分もこうだったなって。「やばい、やっぱ俺、やりたい」って。
ポートフォリオをある程度のところまで作って、もうデジタルハリウッドを辞めて。それで、受かるはずもないのに拾ってもらったのが、スポーツやファッション、音楽などをメインにやっている広告代理店でした。そこでデザイナーとして、ほんとゼロからビシバシ働いて…実務を学んでいきました。基本は紙ものが多かったですね。ファッションカタログとか、店頭のPOPとか、展示会とかそういうもの一式を作ってました。
映画配給部門もあったんですよ。そこで映画のチラシとかポスターとかも一応やって、それである程度満足しちゃったんですよね。音楽とかも関わっちゃったから、もともと興味のあった分野は結構なんかやれちゃったなあと。
そこを3年くらいで辞めて、次は知り合いの紹介で雑貨メーカーの商品企画にも行ったんですが…結局そこはあんまり肌には合わず、1年しかやらなかったですね。
自分にはできなそうな方向を選んでキャメル珈琲へ
30になる歳で、転職するならもうこれが最後かなと思って転職先を探してた中で、コーヒーも好きだったからそっちの業界にデザイナーとして携われないかと調べてたら、たまたまキャメル珈琲が出てきたんですよ。もともとカルディコーヒーファームの存在は知ってはいたけど、キャメル珈琲って会社が運営してて他にも事業展開してるってことは知らなかったし、「カルディってちょっと変わったグラフィックしてんな、おもしろそうだな」と思って、受けてみたんです。
これはもう、天邪鬼的な発想ですね。カルディコーヒーファームのデザインはイラストを使うことも多くて、文字とかレイアウトにも動きがあったりインパクトがあったりするから、それまでいた会社でやっていたファッション系のトーンからのカルディって、俺にはできないなと思って。
他に受けてた会社の仕事は自分にもできそうだなって思ったから、「よし、できない方向でやってみよう!」って、そういう感じでした。
あとそもそもの選択肢として、インハウスデザイナーをやってみたいとも思ってました。
クライアントの制作案件だと、基本的には受注したらモノ作って納品して終わり、の繰り返しだから、その結果どうだったかってあんまりデザイナーまで情報が来ないんですよね。そういうのがないと自分のモチベーションにも繋がらないと思ったときに、会社の成長に寄り添えるデザイナーっていう仕事ができないかなって考えてたんです。
パッケージデザインは、絶対楽しくないといけないなって
お客さんの顔はなかなか直接は見られないけど、やっぱ大前提として自分たちが楽しんでないと、絶対お客さんが楽しいデザインってできないと思うから、どうやって自分自身を楽しませられるかを常に考えてやっています。
確定した要素だけって絶対おもしろくないって思っちゃうんですよね。なんかその、人為的にバグをどう起こそうかなっていう。
例えば、段ボールって面が大きくて、でかい印字はズレたりするじゃないですか。あのズレって本当に素敵だよねって思ったりする。だから、「これ、ズレちゃうかもしれないですよ」とか言われたときに、「あ、むしろズラしてください!」って言うこともあります。
そんな風に思ってやってるから、やっぱり飽きることはないですね。
(宇佐美さんがキャメル珈琲で手掛けたデザインワークの一部)
あとどうしても、パッケージって全部『ゴミ』だと思ってて。行き着く先はゴミ箱じゃないですか。肝心なのは中の商品で、そのためのゆりかごでしかないから。そういう『ゴミ』になってしまうものたちにどうやって付加価値を持たせられるかって考えたら、絶対的に楽しくないといけないなって思ってるんですよ。どうでもいいようなデザインだと、印刷代とかインク代とか、関わった全ての人の労力とか、全部無駄じゃん、みたいな。
楽しいですよ。特にうちの会社は、何かやりたいって言ったらやらせてもらえる土壌もあるし、そこで無碍に否定とかもされないので、働く環境としてはすごく良いです。なんにも不満がないし、ぜんぜん窮屈なことがない。
なんかそう、あんまり自分がシリアスになりすぎたくなくて、飄々としてたいなって思ったりするんで、そういう仕事の仕方を許してくれるのがいいなあと。みんな眉間にシワ寄せて何時間も会議とかってもう、一番やりたくないから。絶対面白くない。そんなの。
たぶん自分から動くのが本当に億劫な人なんですよね。だから、周りのデジタルハリウッド大学の同級生とか見ると、もう独立して社長とかやってるわけなんですけど、絶対俺にはできない。
チームに何人かいるうちの1人くらいの立ち位置で、まあ、ふらふらとしてるくらいが自分にはちょうどいいんですね。
宇佐美 哲治さんが学んだ校舎はこちら↓↓
デジタルハリウッド大学
語り手:株式会社キャメル珈琲 宇佐美哲治さん
2005年デジタルハリウッド大学入学。3年次にカナダ・モントリオールへ留学。あてどなくふらふら、と言うには長すぎるほどふらふらした後、事務局の方に拾われてデジタルハリウッド株式会社にて大学・スクールの運営や経産省の補助事業に携わる。株式会社グリーンルームにてグラフィックデザイナーのキャリアをスタート。2017年に株式会社キャメル珈琲に入社。カルディコーヒーファームの商品パッケージや販促物をメインに、様々なプロジェクトに携わりながら、あいかわらずふらふらと日々楽しくやってます。
聞き手:一般社団法人くくむ 本多美優
2013年デジタルハリウッド大学入学。在学中より、ハイジ・インターフェイス株式会社で主にWEB領域のUI/UXデザインに従事しながら、NPO法人共存の森ネットワークの理事を務める。2023年より独立。株式会社cotonプロデューサー等を経て、2024年に一般社団法人くくむを設立。過去のスキルと経験を活かし、営利・非営利の枠やクリエイティブの領域を超えて人と人、人とモノ、人と情報の「分断」を越えるための企画と制作を行っている。