Interviewインタビュー

No.40

公開日:2021/07/07 

移住先で見出したデザイナーとしての新たな道 原点にはデジタルハリウッドでの熱く刺激的な日々

デザイナーフリーランス デジタルハリウッド東京本校

No.40

デザインオフィス Sennin代表
新井千鶴さん(デジタルハリウッドスクール東京本校)

ひと昔前は、クリエイターの活躍の舞台といえば、「東京」一択という時代がありました。しかし、最近では地方を拠点として文字通り「創造的」な仕事に取り組む、クリエイターも増えています。デザインオフィス Senninの代表を務める新井千鶴さんも、そんなクリエイターの一人。長年東京でデザイナーとして活躍しながら、思いもかけぬ縁で飛び込んだ「愛媛」という新天地。新しい環境で、デザイナーとしての新しいキャリアを歩み始めた新井さんの原点が、デジタルハリウッドでの刺激的な日々でした。
(※このインタビューは、2021年6月当時の内容です。)

一流の先生に学びたくて門を叩いた「デジタルハリウッド」

Q
新井さんがデジタルハリウッドスクールに入学されたきっかけは何だったのでしょうか。
A
2歳年上の姉が出版関係の会社でDTPの仕事をしていて、「カッコいいな」と思ったのがきっかけでした。当時、短大を卒業してフリーターをしていたのですが、姉のように手に職をつけたいと思うようになり、最初はデジタルハリウッドとは別のスクールに通って、DTPの技術を身につけました。卒業後に飯田橋の印刷製版会社に就職。当時はアナログ製版からデジタル製版に移行する過渡期で、両方とも体験できたのは、今から考えると貴重な経験でしたね。働いているうちにだんだんと自分でもデザインをしてみたくなり、ステップアップのためにデジタルハリウッドスクールに入学しました。
Q
当時は働きながら通われていたということですよね。デザインの技術を学べるスクールは数多くあると思うのですが、なぜデジタルハリウッドを選ばれたのでしょうか。
A
講師の方々が現役でお仕事をされていて、実践的な知識や技術が学べそうだと思ったからです。一流の技術を身につけたければ、一流の先生方に学ぶのが一番早いかなと。それに当時、デジタルハリウッドの広告が全部カッコよくて、「何かすごいことが学べるかも」と思ったのも、入学した決め手かもしれません。
Q
実際に入学してみると、どのような学校でしたか。
A
やはり先生たちのことは記憶に残っていますね。杉山学長も印象的でしたけど、特にPhotoshopを教えてくれた先生が長髪でウェーブがかかっていて、「絶対この人デザイン系だな」って分かる特徴的な見た目だったんです(笑)。そういった先生の個性もすごかったし、一緒に学んでいる周りの子たちがすごく熱心だったのも刺激的でしたね。それ以前に通っていたスクールは授業中ずっと静かで、教室の中での交流もなかったんです。しかし、デジタルハリウッドの教室では、授業中にも質問が飛び交うし、分からないことがあったら受講生同士ですぐに教え合うし、すごく活気があって楽しかった。私のような社会人もいて、大学生もいて、会社で事務をやっているような女の子もいて、いろいろな立場や世代の人たちが垣根を超えて悩みを共有したり、相談し合えたりしたことが、モチベーションにつながっていましたね。あと私は他の人と比べると多少はMacの知識があったので、先生のアシスタント的にみんなに操作を教えることもあった。会社では新人で後輩のいない私も、ここに来ると誰かに頼ってもらえる、それもちょっと嬉しかったんです。
Q
お互いに切磋琢磨できる環境だったんですね。デジタルハリウッドでの経験や学びは、その後のキャリアアップに生かされましたか。
A
はい。念願かなってデザイナーになることができて、いくつかの会社をわたり歩きました。最後にいた会社は5年間ぐらい勤めましたね。また会社勤めと並行して、Senninという屋号でフリーランスとしての活動もしていました。

「今治タオル」の道から、縁あって再びデザイナーに

Q
そんな新井さんが、なぜ愛媛に移住することになったのでしょうか。
A
そもそも愛媛には縁もゆかりもなくて、移住したのは、旦那が地元に帰りたいと言ったから。その頃は、愛媛にはデザインの仕事はないんだろうなと思っていたので、手に職をつけるつもりで、当時あった今治タオルの専門学校に通いました。地場産業の技術を身につければ、将来雇ってくれる会社があるだろうって。デザインの仕事は諦めなければいけないけど、好きな人と一緒になれるんだから、そっちの幸せを優先しようと、愛媛に飛び込んだ感じですね。
Q
一度はデザイナーのキャリアを手放しかけたんですね。
A
はい。そのままタオルの会社に就職するつもりだったのですが、ありがたいことに、昔の仕事のツテでデザイン仕事の依頼が来るようになり、ちょこちょことやっていたら、だんだんと忙しくなってきました。そこでタオル会社ではなく、愛媛のデザイン会社に就職しようとしたんです。選考で受かったのですが、辞めるはずだった人が辞めなくなったとかの理由で、キャンセルになってしまって……。でも、「新井さんは面白いから、これからもいろいろとお付き合いをしましょう」みたいなことを言ってくれて、そこから仕事をいただけるようになりました。何か不思議なご縁なんですけど。

デザインには全て「ストーリー」がある

Q
新井さんがデザインの仕事をする上で、意識していること、大事にしていることはありますか。
A
お客様が本当に求めていることを「見える化」するということですね。例えば、「チラシを安く作りたい」とおっしゃった時に、課題に対するソリューションとして本当に適切なのか、細かく細かくヒアリングを重ねていくと、お客様の中でも「もしかしたらチラシではなくて、別の方法もあるかもしれない」と発想が広がっていくんです。そこで「じゃあ、こういう戦略をとるのはどうですか?」と私も提案していくのですが、そうやってお客様がやりたいことの「見える化」をお手伝いできることが、私にとっても一番の喜びですね。
Q
「やりたいことを見える化する」という表現はいいですね。お客様の伴走をしながら一緒に作り上げていくという、新井さんの思いが感じられます。
A
そうですね、これはデザイナーであればみんな気をつけていることだと思うんですけど、中には「自分は絶対こっちの方がいいと思うから」と一方的に価値観をお客様に押し付けるデザイナーもいるんです。どんなに自分のセンスに自信があっても、結局そのデザインをお買い上げになるのはお客様ですから、押し付けは絶対にバツ。相手の価値観は最大限尊重しながらも、デザインには全部ストーリーがあるはずなので、「なぜ自分はこのデザインがいいと思ったのか」とロジカルに説明していけば、絶対にお客様も納得してくれるんですよね。デザイナーの仕事って半分くらいは「コミュニケーション」なんじゃないかとすら思っています。
Q
愛媛に移住されてから、お仕事の仕方に変化はありましたか。
A
今までと違って、個人事業のお客様や、立ち上げたばかりの小さい規模の会社さんと、直でお付き合いすることが増えましたね。東京の代理店や出版社さん経由で依頼いただくお仕事は、それこそ「チラシ」や「パンフレット」など、あらかじめ決まった枠組みの中でデザインすることが多かったんですけど、直クライアントのお客様は、最終的にどういう結果になるか分からない中で、直接お客様の声を聞きながら作っていくので、前のお話とも重なるのですが、それがすごく新鮮で面白いと感じるようになってきました。
Q
今後、挑戦してみたいお仕事はありますか。
A
先ほど今治タオルの話が出ましたが、伝統技術のリボーンには取り組んでみたいですね。生活様式の変化で厳しい状態にある伝統産業を、アイデアとデザインでリボーンし、創造性を育む幼少期の子どもたちがその魅力に触れる機会を増やせるように。そして子どもたちの身近な選択肢のひとつに伝統産業が入り込めるように、知恵をしぼっていきたいと考えています。
Q
最後に、デジタルハリウッド校友会に期待したいことはありますか。
A
やはり、横のつながりが生まれるといいですよね。私自身、スクールを修了してから、自然と当時仲良かった人たちとの交流もなくなってしまっていました。正直、デジタルハリウッドのことを何年も忘れてしまっていたのですが、愛媛で新しい事業を始め、どんどん自分をPRしていかなければと思った時に、もし卒業生交流会みたいなのがあったら、当時のつながりが復活して、新しい「何か」が生まれるんじゃないかと思って検索してみたのが、「校友会」を知ったきっかけなんです。もしかしたら、「大学」や「スクール」といったところで隔たりを感じている卒業生もいるかもしれませんが、そういった垣根を超えて交流させてもらえればと思っています。

新井千鶴さんが学んだコースはこちら↓↓
デジタルハリウッドスクール東京本校

デザインオフィス Sennin代表
新井千鶴さん(デジタルハリウッドスクール東京本校 グラフィック・アートデザイナー専攻 修了)
埼玉県出身。東京の短大を卒業後、ジュエリー会社、フリーターを経て、印刷製版会社にDTPとして就職。その後、デザイナーへと転身し、デザイン企業に勤めながら、個人事業として「デザインオフィス Sennin」の活動をスタート。現在は結婚を機に移住した愛媛を拠点に、『「つくりたい!発信したい!」を実現する』というメッセージを掲げ、地域に密着したデザインオフィスとして意欲的な活動を続けている。

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